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CGハーロックを見た日



キャプテンハーロック (2013)
-SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-


以前にレンタルで見たことはあったんですが、なんだかんだ買ってしまいました。
最初に見たのは今年の2月。原作と78アニメのハーロックしか知らず、エンドレスオデッセイを見る前で、そしてブログを始める前でした。ブログつけてると、だいたいの日付がわかって、後から見返すとき便利。

およそ5カ月ぶりにリブートハーロックになりますね。やや久しぶり。
実は先月くらいには手に入れていたんですが、うちBlu-rayの視聴環境なかったんですよね。
でも、特典が目当てだったので、Blu-ray版を買うしかなかった。

2016-07-19.png

左から、2Dディスク・3Dディスク・特典ディスク、
分厚い絵コンテ本、製作資料やキャスト・スタッフ紹介の冊子と、ブロマイドポストカード。
実に豪華。絵コンテいいなぁ、オタク心をくすぐりますよね……78年や外典や劇場版999の絵コンテ本も売ってくれたらいいのになぁ。

たいてい、この手の特典の中では、スタッフコメンタリーが美味しい。
監督脚本舞台設定やアニメーターなど、作り手さんによる舞台裏話ですね。
プロフェッショナルの話がいちばんおもしろい。
あと、松本監督の2013年時点でのハーロック観というのがわかったのも収穫でした。



ひとまずシンプルレビューを。

①映像は最高のひとこと。

もしこれが国内の実写映画だとしたら、絶対に堪能できないだろう迫真のアクションを見せてもらいました。モーションアクター(スタントマンの動きをトレースしてCGの外皮をかぶせる技法)が素晴らしい。今はまだ、お金かかるからそうそうやれないだろうけど、10年20年後には、これがフォトリアルアニメのスタンダードになるかもしれませんね。
鳥山明キャラのゲームのワンシーンでさえ、昨今ではモーションアクター使って撮影してますもの。

キャラデザの刷新も期待を上回るものでした。特にアルカディア号のデザインはぞくぞくしましたね。
どのハーロック作品でもそうでしたが、今作でも作中最高に異質で最高にかっこいい戦艦でした。
この映画一本のためのデザインになってしまうのはもったいない……!
艦隊戦闘も大迫力!もちろん宇宙もすっごいきれい!


②ストーリーは……?
ハーロックがハーロックらしくないってのはファンとしては痛手なんですが、これは、3回も見たら慣れました(笑)

古いハーロックに思い入れがあればあるほど視聴に耐えがたいという、トラップじみた映画には違いないんですが…。でも、今回はけっこう楽しく視聴できたので、登場人物の心情とSF的考察を考えないようにすれば、わりと見れる。

ハーロックを知らない層になら、もっと売れてもいい映画だったと思うんですがねー。


③雑談みたいな

3回目にして初めて、ダークマターが地球を死の星に変えるシーンで胸が痛みました。
リブートハーロックと旧作ハーロックは別人だと百も承知ですが、つい重ねてしまったせいで。
78年アニメで言えば、まゆを守ろうとして自らの手で息の根を止めてしまったハーロックなのですね……。

変わり果てた幼い娘の亡骸を抱いて、ハーロックは泣くのでしょうか。
少女の透き通った笑い声のために、やさしいオカリナの音色のために、ハーロックを呼ぶ甘やかな声のために、少女が生きるはずであった遥かな時間の輝きのために、それら全てひとかけらも残さずハーロックの手の中で失われてしまったために、彼は己の魂を滅ぼすほどに悲嘆に暮れたでしょうか。

それでもなお、悲しむ前にやるべきことをやる、そういう男であろうとするのでしょうか。
劇場版999のハーロックは、親友の死の直後に酒場のシーンをやってのける男なんですよね……。
たとえようもない深い悲しみのただ中にあっても、誰かに微笑みかけることができるのでしょうね。

ハーロックは地球の再生を諦めはないでしょうが、再生のための有効な手段がなにひとつ見つからず、ただ時を信じて待つしかないのだとしたら。その時は、自分の体と艦が動く限り、赤い地球を守り続ける存在になるのでしょう。短編のデスシャドウのように。
あるいは、地球をテラフォーミング(なんて矛盾!)しようと試みるかもしれません。水か氷を多量に含んだ小惑星をいくつ持ってくれば海は取り戻せるのでしょう。窒素78%、酸素21%、アルゴン0.93%、二酸化炭素0.03%の大気で5億1010万平方キロメートルの地表を覆いつくすために、気の遠くなるような膨大な時間と作業を必要としたとしても、彼はその不死の体でかならず成し遂げるのでしょうね。

ハーロックは、死に絶えた星の土に希望が根付く日を待ち続ける。やがて植物が生まれ、水棲生物が海を泳ぎ、虫が地を這い、いつか動物が人間がふたたび地上に現れる日が来ることを信じて。悪魔と呼ばれようと神と呼ばれようと、ハーロックは信じるもののために生き続ける。そして、必要とあらば戦い続ける。

艦橋スクリーンに映した赤い地球がごく僅かずつ、しかし確実にかつての姿を取り戻していく。
子の成長を見守る親のような、あたたかく愛情深い眼差しをそそぐハーロック……。

といった、孵らない卵を抱き続けるようなハーロックは、かなしすぎて大変に好みです。
でも、たった100年で花が咲くレベルまで地球環境が落ち着いたということは、見た目ほど環境は壊れ果てていないのでしょうかね。


いつか、地球が死んだ日から何千年か何万年か後に。
ひとりの少年が、自作の宇宙船で地球大気圏に飛び込んでくるかもしれない。

ほとんど不時着寸前の荒っぽさで降り立った少年は、花の咲き乱れる草原に立ちすくむ。
はじめて見るはずの星の景色が、なぜか懐かしくて懐かしくて涙が頬を伝う。
たまらず気管マスクをむしりとって胸いっぱいに吸い込んだ大気は、濃く甘く少年の体を満たす。
短い手足を投げだした大地は、母の腕のように少年をやさしく抱きとめる。
見上げれば、魂の色にも似た青い空がどこまでも広がっていた。

やがて少年は、風が呼ぶ声を聴くだろう。それがオカリナの音とは知らないまま。
やがて少年は、空と海の色の髪の少女にふたたび出会うだろう。それが人類のはじまりの日になる。


聖書のさいしょのページを捲るように、理想郷の名の艦から男はその幸福な日を見守っているのだろう。









雑談おわり。
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【雑談回】飯の話がまとまらぬ




たあいのない雑談やら考察やらをふわふわと。
( さすがに読みにくかったので少し手を加えました。6/18 )




<イスカンダルで待ってそうな顔してませんか>

朝ドラの「とと姉ちゃん」見てますか。
私はあんまり見てないのですが、OPの宇多田ヒカルの声にいやされたりしています。

ところで、とと姉ちゃんの母親役の木村多江さん。

木村多江

見るたびに松本美女だなぁと思います。
切れ長の目で、鼻筋がすっと通っていて。三白眼が似合いそうで。
松本御大原作でなんかしら実写化するときには出てきてほしい気持ち( ´ ▽ ` )ノ





<機械化ハーロックさん>

「帰らざる時の物語」の中に、「機械化都市(テクノロジラス)」というSF短編が収められています。
その中に登場するハーロック(のパラレルキャラ)は、機械都市が人類を支配している世界に反乱を起こすが、本人の体もまた長い戦いの果てに傷つき半ば機械化されていて……という設定。キャプテン・ハーロックにおいて鉄壁の露出度の低さを誇るハーロックが、いきなり半裸で登場というだけで「おおぉ……」と思う短編なんですよ(どこを見ている)。あとやっぱこの時代の松本美女やたらめったら艶っぽい……。

めずらしくハーロックのキスシーンなんかもあって、ふんわり恋愛関係も匂わされたりしていて。
(でも、この短編のハーロックは間もなく死ぬらしいし、ついでに生殖機能もなさそうなんですよねぇ)
美女と若者を機械化惑星から脱出させて、自分は殺されることを覚悟して残って戦うことを選ぶ、そういうハーロックなのです。短編時代のハーロックは、こういった、「若者を未来へ導き、自分は死の運命へと向かっていくふるまい」をわりとよくしますね。

それはそれとして、このテクノロジラスを題材にした二次創作を見かけまして。
「トチローがハーロックの体を整備している」という設定にくっそ萌えたというはなしを!したい!
そっかー、そりゃーそーだよなー! と、目から鱗だったんです!

この短編が描かれた1975年、SF世界におけるハーロックとトチローの関係を、御大はまださほど煮詰めていませんでした。77年の「宇宙海賊~」でも、78年の同アニメ化の時点でも、トチローとアルカディア号の関係はまだ曖昧なものだと、本人もロマンアルバムで語っているくらい。

しかし、後の松本ワールドの成熟を知っている2016年の私たちにとって、ハーロックを機械化した「誰か」を想像するならば、そこに浮かぶのは当然に眼鏡の怪人なのです。親友以外の何者かの手によって、自分の体が改造されるのをハーロックが許すはずがない、とそう思う。だって、999におけるハーロックは、「永遠の命を願う機械化人間」に対して、「限りある命を精一杯生きる人間」の代表のよーな立場なのですから。機械化するにしても、よっぽどの事情があったのだろうと思う。

さらにそっから妄想を積むと、「ハーロックが死を覚悟した行動を選ぶのは、トチローが死んだから」かもしれない。整備士がいなくなった機械化体には、活動可能なタイムリミットが決まっている。たとえ脱出しても長くは生き延びられないなら……とか。
機械化都市の技術力に頼れば延命の道もあるかもしれないが、親友以外に体を改造させるつもりはないハーロック、などと想像するとたまりませんね。

さらに、この機械化ハーロックと技師トチロー妄想は、この短編だけにとどまらない。
ダイバー0のハーロックもまた、腕を機械化しているのです。この右腕も動いてるから単純な義手ではない。

2016-06-11.png

この機械化された腕ですが、よく見ると傷跡がある。
わざわざ傷跡を義手に再現しているんですね。生身の腕と区別がつかないほど精巧な義手を造るだけの技術があるならば、もちろん傷ひとつない完璧な腕でもいいはずだし、なんなら精神力をエネルギーに変えてなんちゃらするサイコガンでもいいのに。ただ、失われる前の形を傷ひとつまでなぞるなんて。なんだか技師の強い意志を感じませんか。それが、トチローの仕業だとしたら、そこに執着や悔恨や愛情やエロスを感じてしまいませんか。私だけかなー。

ダイバー0は、まだ手のつけられてない松本作品の中でアニメ化してほしさNo.1なので、ぜひ技師トチロー込みで誰かアニメ作ってください……誰か……!





<ナポレオン・コンプレックス>

「身長の低い男性がその劣等感の裏返しから、尊大で意地っ張り、野心家で攻撃的なふるまいをしがち」という心理をあらわすのだとか。俗説なので、誰にでも当てはまるってことはないんでしょうけど、松本ワールドのちびキャラ、特にトチローにこそぴったりな響きじゃないですか? 医学的な正式名称ではないものの、語呂の良さからか身長の低い偉人に対してよく使われるそうな。

宇宙海賊世界のトチローさんは天才だから、身長や容姿の劣等感ってあんまないのかなーと思ってたのですが、ザ・トチロー読んだらありまくりで、なんか安心しました。これは松本御大の劣等感が土台になってるんでしょうけれど……正直なところ、漫画家として大成した、老年の松本零士しか私は知らないので、あんまりピンと来ない。近視がコンプレックスってのは、飛行機乗りだった父親への憧れがあったからでしょうか。目が悪かったら乗り物のパイロットには向きませんからね。

まあ、そんなことを考えていたらですね、舞台ハーロックのイベントでの御大の言葉にぶん殴られたりしたのです。



(ハーロックを演じる役者を見上げながら)
松本零士は、「うらやましいぐらい、いい体格ですよね。これこそハーロックです。
私は終戦直後で食糧難の時代に育ったので。海に潜って魚を獲って家族に食べさせてたんです」
と、目を細めて思い出話を語っていた。

   舞台「ハーロック」会見(2016年5月31日)より


キャプテン・ハーロックは、御大が少年の頃から憧れ羨み夢見た「かっこよさ」の結晶なんだと改めて思い知らされました。あの、自負心の強い松本御大が、「羨ましいくらい」なんて、他の誰に言うでしょうか。「これこそハーロックです」なんて、御大の口から聞いていたら、私ちょっと泣いてしまったかもしれない。


御大はハーロックを愛していますね。
メーテルをエメラルダスを、この世のものならぬ美しい女たちを愛するように。
ヤマトをアルカディアをコスモドラグーンを、線の一本まで愛でるように。

御大の最も古い親友であり最も古い夢であり続けたハーロックが、舞台になり生身の俳優に演じられるのですから、御大はどれほど嬉しかったことでしょう。とにかく「ハーロックはイケメン!高身長!美声!」ってキャスティングをしてくれた舞台の監督さんに感謝です。





<御大の一番好きなハーロックはcv.井上>

「今までハーロックの声を担当された方が何人もいる中で、先生(松本)がお好きなのは井上真樹夫さんだとお聞きしたので、その声を若干意識しました」



と、語ったのも上記舞台イベントのレポから。ハーロック役の林野さんです。
すばらしい質問をしてくださいました。私も、もし握手会など松本御大にお会い出来たら、いろんな質問をしたいなぁと夢に見ているのですが、これは最高です。もうこれだけでいい。

つまり、78年以降の御大の作品に出てくるハーロックは、みな井上さんの声だったんですね!
ニーベルングでさえ、御大の頭の中のハーロックは、低く甘い井上ボイスでしゃべっていた。トチローはやわらかい富山声で笑って、ミーメは小原乃梨子のふわっとした声で歌っていたのかもしれない。そのアルカディア号は、どうしようもなく、「いつかなくした夢が、ここにだけ生きてる」 と歌われた艦ですね……。





<東映チャンネル>

ハーロック一話が配信されています!
リマスターされているのかな、絵がきれいです。

2016-06-11 (2)
宇宙海賊キャプテンハーロック 01:「宇宙にはためく海賊旗」

ハーロック登場シーンの、崩した姿勢でキャプテンシートに座っている姿を、足元からなめ上げるカメラアングルもう最高ですねぇ。それに、やっぱり音楽が良い。14:35~の、OPをテンポダウンさせた曲が好きなんですよ。悲しげで、オーケストラサウンドが重々しくて。海賊島の明るい海のシーンや、激しい戦闘シーンで、場違いなほど壮麗にもの悲しく流れるのが印象的でした。78年アニメの選曲センスは卓越したものがありましたね。



そのうち使うかもしれない自分メモ。
1話に出てくる「さくら」
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上(ハーロックがまゆを思い出すとき、背景に散る花びら)
中・下(「わが友」の墓の大樹。葉も花もない。枯れ木?)

第一話は見惚れてしまいますね。'78ハーロックのすべてがここにあると言ってもいい。
そして2話の予告からもう、予告だけで違いがわかる作監と演出の差……(笑)
予算とか時間とかいろいろあったんだろーが、この1話のクオリティが続いていたら……。





<ひみつのへや>

地上波で放送されたハリポタを見たりしていました。
一挙放送となると、子役の成長や、だんだん増えていってそうな予算や、CG技術の進歩を感じて、おもしろいですねハリポタ。

アルカディア号はなんせトチローが造った船だから、あっちこっち「秘密の部屋」がありそうですね。
たまに大掃除したら発掘されて、十年ものの袋麺や酒やスルメが出てきそう。
中枢コンピューターの前に並べて「おまえは冬眠前のリスか。自分で埋めた食糧を忘れて死ぬんじゃない」って腕を組んで言うハーロックが浮かびますね。お酒はクルーが責任を持って飲みました。





<燦~天河無限~……じゃなかった>

5月19日発売のチャンピオンREDの付録として、松本御大の未収録短編がおうちにやってきました。
わぁぁ(((o(*゚▽゚*)o)))ぁぁい!!

燦~天河無限~

この天河無限と主人公・蜻志郎について、「松本家系図はじまりの物語」などとTwitterでしゃべったりしていたのですが、ちゃんと確かめたら違いました。アハハ。


 当時アニメーションを三本掛け持ちして描いていたからというわけではないが、「銀河鉄道999」の舞台は、「クイーンエメラルダス」「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」など、僕の主要キャラクターがすべて集結している。
 僕の作品は独立しているが、登場人物は子孫などのレベルでリンクもしている。最初から大家族を作るつもりでいたからである。年代を超えた大家族を創る――これが僕の夢であった。「男おいどん」の大山昇太の子孫は、大山トチローで「キャプテン・ハーロック」に登場している。トチローの恋人エメラルダスは、じつはメーテルの双子の姉である、そのふたりの母は「銀河鉄道999」の中ではプロメシュームで、映画「千年女王」に出てくるヒロイン弥生こと千年女王とメーテルは母娘関係にある。つまり千年女王が後に機械化してプロメシュームームになっているのだ。

 物語、つまり僕の家族の始まりは「平賀源内天河無限」である、主人公は大山誠四郎。僕の先祖に松本誠四郎という人がいたので、その名から取っている。
 平賀源内と廓の女郎さんとの間に出来た子どもを、ある人が引き取って田舎に連れて帰る。その子どもの次の世代が、大山誠四朗という設定にしている、誠四朗は幕末の動乱期に京へ向かうのだが、その途中、一隻の帆船が瀬戸内海に入って来て閃光を放つ。それを丘の上から誠四朗が見て「あの光がオレを呼んでいる」と思う。一方、閃光を放った人物も「あの丘の上に俺の運命の友人がいる」と感じる。この男こそ、ハーロックの先祖アルカディアの海賊なのである。つまり物語の中核はハーロックとトチローの先祖なのだ。

松本零士著作 「遠く時の輪の接する処」(2002年)より



腐女子オーバーキルですよ御大。
時系列としては、平賀源内天河無限 → 燦~天河無限~ でしたね。





<四次元世界>



ちょうど古本屋で見かけて購入。
御大の短編には独特の余韻があって、もの悲しさがあって。好きです。
絵はもちろん美しいし、メカはおそろしく緻密だし、ふきだしまでなにやら美しい。線の強弱が味わい深いのです。

どうやら70年代前半の御大の短編集だとか。まだ少女漫画の色合いが濃いですね。
美女は麗しく美少女は可憐で、ときに毒を持っている。
男はまだ頭身高め。ちびキャラになってませんね。少年主人公の話はやはり多め。

男性キャラのバリエーションが豊かであると同時に、「美少女じゃない女の子」も登場したりする。
初期ならでは、ですね。後の松本ワールドって、美女しかいないじゃないですか。
モブキャラや老女は例外にして、名前のある女キャラクターは敵も味方もみな美しい。

なんで松本御大は美女しか描かないんだろうか、と。あらためて気にかかってきました。
御大のフェミニズムがそうさせているのかな、と思っていたころもあるのですが。

それもあるけど、それ以上に、女のコンプレックスを描きたくなかったのかなぁとか。
四次元世界でちょっとそういう領域に触れている一編があったのですが、御大苦手そう^^;
苦手というか、絵空事のようなきれいなオチしか書きたくなさそうな。
男のコンプレックスは執拗に描くし、それこそ松本ワールドの芯になっているのですがね。

松本御大が描く、ほとんど顔の区別もつかない麗人の美しさというものは、どこか深いところで、夢の眩しさや青春の輝きに通じているように感じます。

男の胸の中に燃える希望と夢の炎は、世界のなにより美しくなくてはいけない。
麗人は形を持った憧れそのものである。だから、メーテルは切ないほどに麗しく、エメラルダスは孤高の中で気高い。

紙の上で美女の美しさを揺るがせにしないことと、命の尊さを信じることは、御大の世界において同じ行為である、と。
そんなふうに描かれている気がします。



ついでに。
ハーロックは、あれは中身はトチローと変わらない御大の分身なんだけど、外側は麗人ですからね。
キャプテン・ハーロックもまた、御大にとっての宇宙と冒険への憧れの化身なのでしょう。



<フード理論と松本零士>


ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50 福田里香


以前から読みたいと思っていた本だったんです。
「フード理論」と称しているけれど、「この表現は、即ちこういう意味」と数学的に論じているわけじゃない。
「食事についてこういう映像表現を見たら、視聴者は無意識にどう感じるか」、といった趣旨の本でした。

例として表題の「ゴロツキはいつも食卓を襲う」だと……。

 蹴り飛ばされひっくり返るテーブル。散乱する料理。砕け散る食器。びしょ濡れの床。
 青ざめる父親、子どもを抱きしめる母、泣き出す幼子。

 実質的な損害が大したことなくても、この映像は強く視聴者の感情に訴える。
 まず食べ物を粗末にするのは、誰しも眉をひそめるもの。それも、家族で和気あいあいと食事をしている場面を(その料理は母親の手作りかもしれない)台無しにされた、となれば、それは家族の絆と愛情を蹂躙する暴力と捉えてしまうもの。視聴者はゴロツキに対して激しい憤りを感じる。ものすごくわかりやすい「悪役」のアイコンを張り付ける。


 こういう、どっかで見たような汎用性の高い「食事にまつわるあるあるシーン」を、「ステレオタイプフード」と名付けて羅列しつつ、作者が解説してくれます。食事シーンとその展開のバリエーションを色とりどりに紹介してくれるし、語り口がおもしろくってサラサラ読めてしまう(笑)

 目新しいって話ではなく、クリエイターはフード理論を意図的に利用して(あるいは無意識に身に着けて)表現の中に組み込んできたことでしょう。その長年の積み重ねがあるからこそ、文法のようにして視聴者にも伝わるわけで。でも、あらためて言説化されると、物語への読みが深まります。映画やアニメの鑑賞に新しく手軽な楽しみが増えるし、二次創作にだって役立ちそう。


 軽いところから行ってみましょう。
 松本ワールドは酒豪が多い。御大本人もまた底なしの酒豪なんだとか。さすが九州男児。

 ハーロックはもちろん、メーテルもエメラルダスもお酒に強いし、ミーメなんて酒が主食ですね。宇宙の戦士たるもの酒くらい飲めないとダメなもよう。そんな中で飲めない/飲まないキャラを3人ほどあげると、鉄郎・トチロー・台羽くん、ですね。

 鉄郎は、列車内で行き会った謎のフードの男に酒を勧められ、ひとくちで酔っ払ってしまう。「勧められて飲んでみる」のは勇敢な心を、「酔う」のは少年の未熟さを、わかりやすく示してくれます。ついでに、「大人になったらお酒に強くなるわ」とメーテルからのフォローも忘れない。

 トチローも、クイーン・エメラルダスでは一杯のワインで酔いつぶれてしまう。ま、トチローはチビ眼鏡キャラ、「でも」、かっこいいのが属性なのでご愛敬ですね。そのトチローも晩年の999では「美少年」と仲良くしているし、お酒に弱いのは若いころだけかも。ハーロックやエメラルダスにつきあううちに酒に強くなったのかと想像すると、ちょっと楽しいですね。

 で、台羽くん。彼は、アルカディア号に乗船してすぐ、「酒を勧められるが、断る」のです。戦士としてはペケ。まだアルカディア号に馴染めていない、ハーロックを信用しきっていない、というのが読み手に伝わりますね。その後、グータラに見えたクルーがいざとなれば有能に働く艦だということを知り、また考えを改めるようになるわけですが。そういえば、アニメ最終話ではミーメに酒を勧められて受け取っていますね。この冒頭の断る描写と対になって、台羽くんの成長をあらわしているとしたら素敵な演出です。


 ではでは本題に。前から気になっていたことなんですが、
 原作も'78アニメでも、キャプテン・ハーロックって食事の描写がないんですよ。

 食事シーンが少ないという世界観ならばともかく、原作なら1巻につき2~3回は食事風景、あるいは(主にマスさんが)食事を作るシーンがあるんですよ、アルカディア号って。食堂も描かれるし、台羽くんはもちろん、ヤッタランやドクター、蛍もちゃんと食べてるシーンがある。酒が主食のミーメだって、自分の皿にカニを大盛にしたりする。しかし、ハーロックは食べない。

 どういう意図の演出なのかなー?と、本を開いたら1ページめから来たよ。


「 正体不明者は フードを食べない 」


きゃぷてーん!!wwwwww

 いやいや、これは、ここだけ抜き出すとそうなんですが(笑)
 フード理論の三大原則として、

1、善人は、美味しそうにフードを食べる
2、正体不明者は、フードを食べない
3、悪人は、フードを粗末にする
 
と並べてこそ意味が通るものでした。

 まず、美味しそうに食事をするキャラは、視聴者に親しみと安心感を与える。ルフィとか悟空とか、ジャンプ主人公の顔が大写しで出てきそうです。

 それに対して、悪人は食事を粗末にする。ゴロツキは食卓を襲うし、マフィアは吸い殻をスープの皿に突っ込むし、不良はガムを吐き散らかす。わかりやすい「悪印象」を視聴者に与える。

 そのどちらでもない、「食べない」というキャラは、視聴者に謎めいた印象を与える。みなが食事をしているシーンで、ひとりだけ食べないキャラがいたら、視聴者は不信感を抱く。あいつ、なんだろうと気にかかる。


 一方で、その不安と不信を利用して、視聴者の意識を惹きつけるテクニックとして、 

「 絶世の美女は なにも食べない 」

 と、いうステレオタイプフードも語られるのです。


「映像やマンガ・ゲームの中で美女がリアルに動き出した時代を迎えた現代、その女をして絶世の美女たらしめる、もっとも端的にして効果のあるフード演出とは何だろうか? と考えてみた。それは、たぶん、彼女になにも食べさせないことだ。」

「そのキャラクターが『興味を惹く外観』を持っているとき、視聴者は自然とその中身までのぞきたくなる。それが魅力的な美女ならば、視聴者はいっそう好奇心をかき立てられる。」

「この心理を逆手にとって、魅力的な外観のキャラへの視聴者の興味を持続させたければ、『中身を覗かせない』のが最も有効な手段になる。美味しそうに食べる描写はキャラに親しみを感じさせるが、神秘性は確実に損なわれるのだから。」

「また『摂食』は(無意識にであったとしても)その当然の成り行きとして、咀嚼し消化し栄養を吸収し最終的には排泄される過程を想像させる。だから、『絶世の美女は、何も食べない』のだ。どんなに美しくても、彼女も自分と同じ排便する生き物である、と悟らせないところが、美女の美女たるゆえんなのではないか。もし、美女はなにか食べるとしても、少量のワインを口にするか、少量の果物をふくむか、それくらいが限度であろう」



 真っ先に、思い浮かんだのは、ロード・オブ・ザ・リングのガラドリエルさまでした。美しさを語るもおこがましいほど神々しく、見るものに畏怖の念を抱かせるエルフの女王。ケイト・ブランシェット!

ガラドリエルさま


 しかし、これ……「絶世の美女はなにも食べない」って、理屈はわかるんですが、逆説的に利用している例のほうが多いんだろうなぁ。

 食べることはそもそも性的なので、美女が食べるシーンって魅力的なのです。むしろ、近寄りがたさを感じるほどの美女に温もりを与えるシーンとして、特別な意味を込めて描いているアニメのほうが多いんじゃなかろうか。綾波レイでも、長門有希でも。不二子ちゃんでも、マリー・アントワネットでも。

 現代の映像作品において、浮世離れしているほどの「絶世の美女」というアイコンを探すのがまず難しそうです。歴史物かファンタジーじゃないと、もう生存してないんじゃなかろうか。


 とはいえ、松本御大ならば話は別です。
 「絶世の美女」を描かせたら、日本の漫画界で松本零士を超えるひとはいないのでは?

 御大は、理論として使っているかはともかく、食事描写を頻繁にする作家さんです。戦後の食糧難と幼少期の貧困が骨身に沁みているから、なのでしょうね。飢餓も慢性的な空腹も知らない私たちの世代とは、おそらく食べ物に対する感覚が違う。

 原作メーテルが最初に鉄郎に会った時にしたことは、暖かいスープを提供することだったし、銀河鉄道999だって食堂車は丁寧に描くでしょう。まずはビフテキ。そしてラーメン。松本零士は食べ物のことを忘れない。

食堂車


 が、松本御大の美女の代名詞たるメーテル……意外と食べるシーンがある。

ラーメン

 あの謎めいた美女が「食べる」という絵だけでも、なにか見てはいけないものを見てしまった感があるというのに……。しかもラーメン。ビフテキも丼物もイケる。庶民派美女だった。

 メーテルはすこぶる謎めいた美女でありながら、人間らしさのあるシーンを丁寧に描かれていますね。意外とよく涙を見せるし。そうやって、親しみと安心感を繋ぎ止めているのかなぁと思ったりします。鉄郎に対しては母親属性があるので、同じ食卓を囲むことで絆を育んでいる、と言えるかも。もし、メーテルが鉄郎と同じものを食べなかったら、視聴者は彼女を生身の人間だとは信じなかったことでしょう。



 そのメーテルに対して、徹底して食べない美女がいる。双子の姉妹であるエメラルダスです。酒場で酒しか飲まないのはもちろん、「食事をするトチローの向かいに座っていながら、彼女の前には皿がない」なんてシーンがあったりする。

 2016-06-12.png

 食事をしたいと誘ったのはエメラルダスの方なのに……。

 トチローの食べ方を観察し、彼の生きざまを見透かすエメラルダスを描写をする松本御大です。エメラルダスの前に皿を置かないなんて、こんなの意図的じゃなくてなんなんですか、って言いたい。御大は、エメラルダスの食事シーンをあえて避けているように見えます。たとえば「食後の皿」や「手を付けていない皿」さえ、描こうとはしませんでした。彼女の孤独な美しさと神秘性のために、そして永遠に近い時の流れの中で宇宙でさまよう生き方に、食事をする描写はふさわしくない、と感じたのでしょう。意図的にか無意識にかはともかく。同じように若者を導く者でありながら、メーテルとは明らかに別のキャラづけをされていますね。



 さて、やっとキャプテン・ハーロックの話です。

 仲間たちと共に、「家のような」アルカディア号で長い旅を続ける男。
 「俺は血と肉になる食い物しか食わん」と豪語する親友の傍らにいた男。
 新入りの台羽正へ、「ひとまわり見てまわったら、艦長室へ来い。晩めしを一緒に食おう」と誘った艦長。

 なのに、実際に食べ物を口にしている描写、1コマも描いてないんですよ、松本御大は。少なくとも原作5巻の中では、一度も。クイーン・エメラルダスにおいても、黒衣の騎士・トチロー・エメラルダスの三人が酒場で出会うとき、彼らは酒しか飲んでいない。たぶん、999に出てくるハーロックも食事してないでしょう。
(追記:TV版999の「時間城の海賊」は酒場シーンがありましたが、そこのハーロックはテーブルの上に酒しか置いてない。他のテーブルにはある灰皿さえない。という話を教えてもらいました。灰皿までとは!  口にふれていいのは酒の入ったグラスとルージュの唇だけなんですかキャプテン……!)


 ハーロックに、もし父親属性を与えたいなら、むしろ仲間と食卓を共にするシーンはあったほうがいいくらいです。また、松本ワールドによくある「戦う前に食う」シーンだってあってもいい。ハーロックは戦う男なのですから。

「まず食べなさい 、それからが男の戦いよ」 とメーテルに語らせる御大でもあるはず……。

メーテルー食べること

 それでもなお、御大はハーロックに、ものを食べさせることはない。
 絶世の美女レベルの神秘性を厳守し、ハーロックには酒を飲むシーンしか描かない。

 ただ偶然そうなった、とはさすがに思えない。(いや、御大がハーロックを「絶世の美男子」だと思ってるならそれでもいいんですけど。あ、'78アニメで食べないのは「絶世の~」だからだと思います!)

 考えたんですが、この「飲むけど食わない」は、キャプテン・ハーロックになってからのふるまい、なんですよね。ガンフロは食べるし、読み切りエメラルダス('75)の空賊ハーロックも食べるし、ついでに映画わがアルのハーロックも食べるし、元ネタの赤いデスシャドーでも食べている。さっき「、78アニメのキャプテン・ハーロックも食べないって言ったけど、'78でも回想シーンの若い青服ハーロックは食べるんですよね。トチローと酒場で。

 原作ハーロック、ダイバー0、劇場版も含めた999など、「キャプテン・ハーロック」になると、ハーロックは食べなくなる。絶世の美女化してゆく。(SSXはいったん忘れましょう。)

 どこかの時期から……だいたい70年代後半から、御大は、キャプテン・ハーロックを描くとき、願いを込めた「象徴」として描く面が強くなっていったのでしょう。「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」を読んでから、「ガンフロンティア」を手に取ると、たった2年の連載間隔とは信じられないギャップに驚かされます。それは、単に物語のが背景が西部劇からSFに変わったから、というだけでなく、ハーロックが背負うものが変わったが故の変化でした。

 ではハーロックの背負うものとは。御大がハーロックに託したものとは?
 ムック本収録の「ハーロック誕生秘話」においては、


「この物語(ハーロック)には、私の切なる願いを込めた!
 いま、地球全体の生命保全があやうくなっている。
 もはや地球人同士で争っている場合ではない!
 私たちの暮らすこの星の行く末を思えば、そう思わずにはいられないのだ」 


と語られた「願い」であり、最近のインタビューならば、

“生命”というものに抱く大きな希望から、キャプテン・ハーロックは誕生したのだと言う。
「人は本来、生きるために生まれてくる。死ぬために生まれてくる命はひとつもない。ハーロックは最後まで歯を食いしばって生き抜いていく。何と言われようと自らの道を貫く。ハーロックは永遠に変わらない。決して大げさなことではなく、そういう思いを描きたかった。だから、ハーロックは自分自身を力づける作品でもあるんです」

キャプテンハーロックインタビュー

と、語られた「希望」でした。

 まぁ、それを、ここで私が一言で表現できるなら、単行本5巻もかけて物語を描かないでしょうや。

 ただ、御大は、最も古い親友に託した願いと希望が、永遠に不変であることを望んだことは汲み取れます。
 御大は、願いを込めてハーロックを描きました。万世変わらず輝き続ける宇宙の星のように生きよと。永久に朽ちぬ金のように生きよと。

 ハーロックが好むアルコール度数の高い酒は、食物のように腐ることはありません。むしろ歳月を重ねるほどに深みを増してゆくものです。「永遠」を語るのに、これほどふさわしいものはありません。

 永遠に若い心に理想を燃やし、いかなる苦難にも屈しない闘志を宿し、時の流れを軽々と飛び越えて少年たちの憧れでありつづけ、ただ己のかかげる旗のためだけに戦う自由の意思を高らかに歌う。そんな男が、そんなものの象徴たる男が、あたりまえの人間と同じように食事をするシーンを、どうしても描けなかった。ふさわしいと思えなかった。そう、想像します。


 ガンフロンティア時代の、トチローとふたりで旅をしていた頃のハーロックは、よく笑い、よくしゃべり、トチローと同じものを食べていました。気楽で人間味のあるガンフロハーロックと、思い出を飲み干すように杯を傾けるキャプテンは別人のようです。いえ、本当に別人になってしまった。トチローの親友であった記憶を受け継ぎながら、御大がキャプテン・ハーロックに託した希望は、御大の描いてきた世界そのものと言っていいほどに大きくなってしまった。

 御大が、アニメやCG映画といった派生作品においてさえ、ハーロックの死をゆるさないことと、ハーロックを酒しか口にしない男として(無意識にであろうと)描くのは、御大にとっては同じ根を持つのではないかと、そんなことを思いました。






【ロマンアルバム】 台羽正 語り



「台羽正っていうのは、ひとりの男になるまえの完成途上の青年というイメージをもってやりました。ひとりの完成された男、ハーロックを目標に、彼からなにかを学び成長していく、そんなところが演じていておもしろかったし、ポイントだとも思いました。ただ、原作が好きなぼくとしては、テレビのマゾーンに対してストレートに自分の憎しみをぶつける台羽のイメージというものが、原作と少し異なっていたのが残念でしたね。彼のそんな行動を見ていると、ぼくだったらもっと内に秘めるだろう、なんて思いながらやっていました。でも、そういったはがゆさというものが、彼の役作りという点でプラスになったと思うし、人間性をふくらますことができたと思っています。」  神谷明




ロマンアルバムをネタに思いついたことをしゃべる記事、その2です。
前はミーメだったので、今回は台羽くん。→【ロマンアルバム】初回ミーメ語り



~名前:台羽正~

まず、名前あたりから。
これは「ダイバー0」から、ダイバー → 台羽、となったんじゃないかと言われていますね。



少年サンデー増刊号1975年9月号~76年9月号に掲載された松本零士作のSF作品でした。
単行本1巻で5話。完全版のほうには6話目があるそうです。

人間によって虐げられたロボットたちの希望を背負って、アンドロイドの少年が、人間と敵対したり交流したり都市を滅ぼしたりする物語。ですが、途中から主人公の少年がかすむ勢いでハーロックが出てくる(笑)
宇宙海賊~よりいくぶん若く活動的な印象のハーロックです。マントしてない、眼帯が逆、など見た目はまだ変遷中ですが、キャラクターはほぼハーロックとして固まってきているくらい。

75年の連載なら、台羽正よりダイバー0のほうが先だったのね、と思いそうですが、アニメハーロックの企画書は漫画に先んじて、75年くらいには既に存在していたらしいのです。となると、ダイバー0の構想と、台羽正のどちらが先かは、松本御大のみぞ知るところに……いずれにしろ、ほぼ同時期に誕生し、ハーロックを通じて兄弟のようなキャラクターです。

で、このダイバー0の4話において、ハーロックはゼロに人間の身体を与えてやると言い出します。アンドロイドが人間の体を手に入れることで、いったいどうロボットたちの悲願が果たされるのかよくわからないものの、機械化人間の逆のことが、ハーロックにはできるという。(メーテルが鉄郎に機械の身体を与える、に対して、ハーロックはアンドロイドの少年に人間の身体を与える、という構図が成立しそうで、そこまで話が続かなかった)
ダイバー0

御大……もしかして、このとき、ダイバー0を台羽正の前日譚にする予定あったのでしょうか?
いや、その後なにもふれられなかったから、そういうつもりでもなかったのかな。
今後の次元航海に期待でしょうか。




~キャラクターデザイン~

これは、わかりやすくヤマトの影響ですよね。
ヤマト組

第一シリーズのヤマトには、死んだと思われていた古代・兄がハーロックとして登場する展開が用意されていたのだとか。打ち切りによってハーロック登場まで描けなかったのが、御大よっぽど残念だったようです。そのリベンジも込めて、古代・弟のデザインを台羽正に、森雪のデザインを有紀蛍に再利用したのでしょう。台羽くんの「ハーロックを目標に成長していく若者」というキャラクターも古代・弟くんの流れでしょうか。ヤマトがなかったら、美女も美少年も乗ってないアルカディア号だったかもしれない……。ありがとうヤマト、ありがとう。


~旅立ち~

台羽くんを思うに、いちばんの見どころは最初の旅立ちの時だったのではないかと思えてきました。
アニメも旅立ちまでで4話かけている。4話って、1クールアニメなら三分の一ですよ。そうとうに丁寧に時間をかけて描いている。

旅立ちに到るまでの台羽正は、父を殺され、自分もまた殺されそうになりながら見知らぬ男に命を救われ、外宇宙への旅に誘われるが乗艦の決断はできずに、艦から降りたら地球警察に反逆罪をつきつけられ監獄に送られそうになり、クスコ教授を為すすべなく殺され、どうにか逃げ出したらまたマゾーンに殺されそうになって、やっとアルカディア号に飛び乗る……と、彼自身の意志で物事を動かせたことがほとんどないキャラでした。台羽正は運命と権力と侵略者に翻弄され、選ぶ余地のない道の果てにアルカディア号に辿りつくのです。アルカディア号を選ばなければ、残るのは「平凡な日常」なんかではない。精神か肉体かどちからかの確実な死にちがいない。

受動的とまでは言わないけれど、実際のところ、ハーロックの足元にすがって「助けてください!俺を地球から逃がしてください!」と言ったっていい状況です。が、それを言わせないのが松本零士であり、ハーロックでした。

ハーロックは、台羽に向かって、自分の胸の中にあるもののためだけに戦うことを誓えるか、と問いかける。
その問いかけに、台羽正は答える。

「誓うとも!僕はこの旗の下で僕の信じるもののために戦う」
「決して途中で投げ出したりはしない! この艦上で死ぬことになっても後悔はしない!」
「これは僕が自分で選んだ道だ」
「覚悟はしてきました」

宣誓


これは、ハーロックが台羽を仲間として受け入れるかどうかのやりとりではありません。
若者が人生の岐路に立ち、新しい道へ旅立つこと決めたときに、かならず自問自答する問であり答えでした。
誰に対してでもなく、己の胸にこそ刻まなければならない誓いでした。

ハーロックはおそらくは台羽の窮状を本人よりよく理解していたことでしょう。原作だと拘置所まで台羽を助けに来ますし、目の前でマゾーンに殺されかけたのを一度は助けたのですから。台羽をさいしょに艦に招いたときから、遠からずこの青年が捕まるか殺される可能性くらい、ハーロックには予想がついたでしょう。でも、「助けてやる」「守ってやる」なんて言わない。台羽自身が望まない限り、アルカディア号に乗れとハーロックが強要することはない。彼自身が、生きることを、戦うことを、望んだときにだけ、自由の船は若者の前に降り立つのです。

こういうドラマチックな場面を描かせたら、松本御大はたまらなくかっこいいですね~。





~原作とアニメの台羽正~

「テレビのマゾーンに対してストレートに自分の憎しみをぶつける台羽のイメージというものが、原作と少し異なっていたのが残念でしたね」と、語る神谷明さん。

あ、そうだったっけ?と、ちょっと見直したら、なるほど、原作の台羽くんのほうが冷静です。あっけらかんとしてる時も多い。アニメのほうがヒステリックに叫んだり怒ったりしている。と言っても、アニメで増やされた肉付けは、単に子どもっぽくなった、ってだけじゃありません。



・アニメオリジナル台羽くんシーンをつらつらと

(第4話より) 墓参り
墓参り②
殺された父を悼み母を思い出すシーンであり、またクスコ教授に再会する場面でもあります。
そして、回想にて、両親とヨットに乗った幼い頃の思い出。台羽くんの家族との幸せな思い出は後のローラ編にも出てきますが、どちらも幻想的で切ない。アニメはこういった家族の掘り下げを丁寧にしてくれますね。魔地や蛍が印象的ですが、いちばん時間を割かれたのはやっぱり台羽くんでしょう。母親の思い出を軸にしたローラ編は3話分もありましたし。


(5話より) 台羽くん、宇宙ノイローゼにかかって、幻覚・幻聴に悩まされる。
人間の心の、こういう意外なほどの脆弱さを描くのは、アニメならでは、上原脚本ならでは、ですね。松本漫画でこういう描写ってまずない。特に主人公キャラめっちゃ神経太いから……。

自伝などを読むと、松本御大自身がノイローゼとは無縁の性格だったそうです。地方から上京してきた若手漫画家仲間が、慣れない都会暮らしとプレッシャーから神経衰弱に陥りどんどん帰郷してゆく中で、ひとりピンピンしていたとか。なるほど強い。

(7話より) 海底ピラミッドの眠れる王女
アニメ版台羽くんの言動を決定づけたのは、この話ではないでしょうか。
ハーロックと台羽くんの対比が、はじめてくっきりと描かれた回でした。

海底ピラミッドの中で眠るマゾーンを発見しながら、捕えようとも殺そうともしないハーロック。
「たとえ許しがたい敵だとしても、使命のために倒れた者には、最大の敬意を表する。俺も信念のおもむくままに死にたい」と誰にと語り、「偉大な存在ではないか」とさえ言う。

ここで、原作台羽は、(なにか思うところがあるにしても)沈黙している。

それに対して、アニメ台羽は、語調も激しくハーロックを批難する。
「なにが偉大なもんですか!? そいつはマゾーンだ! 侵略者マゾーンだ! 僕はマゾーンが憎い・・・!」


どちらかと言えば台羽くんの言葉の方に理がある。海底ピラミッドの底で眠っているとはいえ、周囲の機構まで死んでいるわけではない。本国のマゾーンに利するなんらかの役目を果たしているのだとしたら、調べるなりピラミッドごと破壊するのが正攻法でしょう。

でも、ハーロックはそうしようとはしない。
感情をあらわに詰る台羽に対して、釈明しようともしない。(ここ小松原作画なので、目を伏せるハーロックの表情がたまらなくいい)

台羽はハーロックを説き伏せることができないと知ると、たったひとりで憎しみのままにアルカディア号を飛び出す。
そして、「台羽正にとってはな、どんなマゾーンも憎い父の仇なんや」とキャラクターが定義される。

この独断専攻の結果、台羽くんはちょっと痛い目を見るのですが、若い彼はめげずに同じふるまいを繰り返します。わりとすぐ。次の8話くらいで。

(8話より)
「逃がすもんか……地獄の底までも追いかけて、殺してやる!」のがアニメ台羽で、「なぜ、ゆるしてやれないんだ台羽……死に場所を求めてさまよう命を……」と低くつぶやくのがアニメハーロックです(井上さんの抑えた演技がまた素晴らしい)。ハーロックが彼の美学に沿って、情け深いが理屈に合わないふるまいをするとき、声高に異を唱えるのがアニメ台羽くんのポジションになってきました。という同じテーマを2話続けてって、上原さん筆が乗ってるなぁ。



やや穿った見方をすると、アニメ台羽がこうやって、すべてのマゾーンを復讐の対象として憎悪するのは、「父を殺したマゾーン」を自分の手で殺せなかったからでしょう。父を殺した「ひとりのマゾーン」は、ハーロックが殺してしまったから、です。ある意味ハーロックのせいと言っていい。(ハーロックが撃たなければ、台羽正が死んでいた状況とはいえ……)
(さらに、父と志を同じくしたクスコ教授までも、台羽は危険を予測しながらみすみす死なせてしまう。真新しいトラウマを積極的にえぐっていって自責を倍でドンする松本御大すげぇ)

同じように「旅立つ若者」でありながら、母の仇である機械伯爵を銃でめった撃ちにして殺し、剥製にされた母ごと屋敷に火をつけ別れと為した999の鉄郎と比べると、けじめのつき方が違うのは否めない。

999かたき討ち

鉄郎は、機械の身体を手に入れて地球の機械化人間を皆殺しにしてやる、と泣きながら叫びますが、でも、誰彼かまわず機械化人間を母の仇と憎むことはない。機械化人間にも色んな理由で機械化した奴がいると、ちゃんとわかっています。

が、台羽正は「マゾーンにも心があり、ひとりずつ考えを持って生きている」と、思うことができない。そんな考えを認めてしまったら、では殺された父とクスコ教授の無念を、己の怒りと悲しみを、いったい誰に向ければいいのかわからなくなってしまう。だから幼稚に見えようと、復讐心にふりまわされようと、彼はがむしゃらに全マゾーンを憎むしかできない。

アニメ台羽のやるせなさは、そこなんでしょうね。彼はアルカディア号に乗り、何人ものマゾーンを己の手にかけてゆきますが、それで復讐心が消えてなくなるわけではない。むしろ、アニメオリジナルのストーリーは、マゾーンの心を残酷なほど丁寧に描いてゆくのですから……。


しかし、やるせなかろうとなんだろうと、台羽正を視聴者の代弁者として、主役のひとりとして、ちゃんと心情まで描いてくれていた前半はまだやさしかった。後半になるとどんどん影が薄くなるし、容姿の良さしか特徴のないクルーのひとりになってしまうし、極めつけは父の仇討ちの決着ですよ。

銃を取り落としながらも、渾身のナイフの投擲で、女王ラフレシアの息の根を止めた、やったよ父さん……!
ナイフ投擲

父さんの仇は討ったよ、目に涙さえ浮かべで亡き父へと思いをはせる……。




と、思ったらこれだよ。

残念クレオでした!

残念クレアでした

さすがに、これで台羽くんの旅を〆るってのは乱暴ですよねぇ。

あと、前半、あんなにマゾーンへの復讐心に燃えていた台羽正だというのに、ラフレシアの降伏を受け入れるためのフォローがなにもない。これも、「ハーロックを殺さないエンディング」になった余波でしょうか……。それにしても、せめてラストバトルで共闘させるとかさ……ラフレシアへの最後の止めを台羽にゆだねるとかさ……なにか、他にもうちょっと台羽くんが不憫にならないやりようが・・・・、

やりようが……。

…………。


いやぁ、無理かー。なかったかー。
ラフレシアさま、完全にハーロックしか見てなかったものなぁ。

「ハーロック、私はおまえが憎い……! 私の夢を破った男が……! マゾーンの未来を邪魔した男が憎い……!」

誇り高き全能なるマゾーンの女王の、こんなにも激しく一途な心の前では、他人のつけ入る隙などなかった。最後の決着を、ファンタジーものでよくある「ラスボスvs仲間達」せずに、一対一の決闘にしたのは、作り手のラフレシアさまへの敬意だとさえ感じられます。割を食った台羽くん。

りんたろう監督も、アニメ台羽について、「ハーロックと台羽の生き方の違いは、もっと掘り下げたかった」と語っているし、2003年の外典では、まったく違う切り口ながら、ちゃんと彼の決着をつけてくれました。やっぱりないがしろにしちゃったのが心残りだったんでしょうね……。



と、こんなかんじでした。
これ書きながらアニメを流していたのですが、神谷明いい声ですね~。
声もキャラデザも恵まれているのに、肝心のストーリーにおいては不遇っぽさが振り払えない台羽さん。愛着が増しました(笑)

わが家に未収録短編集がやってきた


チャンピオンREDという雑誌をご存知でしょうか。
週間少年チャンピオンを擁する秋田書店の月刊漫画雑誌です。
過去の有名どころ連載で言うと、シグルイ、聖痕のクェイサー、鉄のラインバレルなどでしょうか。

創刊当時は少年誌だったらしいのですが、他の少年誌ではまずやらないような、濃い(グロいエロいキワドイ)漫画を、編集者がブレーキかけずに、むしろアクセル全力で連載しまくったところ、ついたあだ名が、

秋田書店の 赤い 核実験場



なお、現在は正々堂々と青年誌だそうです。ご安心ください(?)

おどろおどろしいあだ名ばかりが一部界隈で有名になっちゃっているけれど、聖闘士星矢のスピンオフや、マジンガーZを原作とした派生漫画や、グラップラー刃牙の外伝「拳刃」や「スカーフェイス」なんかもここなんですね。刃牙系はあんまりフォローにならないな(笑)

旧作名作の版権を生かして他の作家さんにリメイクを描かせて売る、というの流行ってるんでしょうか。キャラデザに(あんまり)悩まなくてもいいので、若手作家さん救済なのかもしれない。秋田書店系だと、ヤングブラックジャックがアニメ化されたりしたのが、ここ最近のヒットでしょうか。おそまつさんとかの成功例もあるしことですし、こういう本歌取りみたいな作品もうまいこといってくれるといいですね。(って、おそまつくんも おそまつさんも 見てないので、あんまりいい例ではないかもしれない)


そんなリメイク作品の一角として、現在、チャンピオンREDでは、キャプテンハーロックを原作とする次元航海が連載されています。




その流れで、

ハーロック&トチロー 未収録短編集
が別冊付録となったことがありました。(2014年11月号)
ハーロック
1979年~80年代初めくらいの作品のうち、漫画のハーロック全5巻にも、その他の短編集にも収まらなかった、ここでしか読めない短編です。

秋田書店ありがとう……!

しかし、欲を言えば電子書籍化して売ってくれ!
松本作品で絶版も多いんだから、全部まとめて全集にしてくれたらもっといい!
でも、とりあえず感謝を込めて次号のチャンピオンREDは買いますね!!

で、この 薄い本 表紙をぺらっとめくると目次が……
目次

下の方に注意書きが……
注意書き

「原稿紛失のため雑誌より復刻掲載しております」
1979年や80年の週間少年ジャンプ誌面などから拾ってきてデジタル修正かけたそうです!
おそらく当時の誌面よりはるかにきれいな印刷で読ませてもらいました。
最近の技術もすごいのでしょうが、きっと1ドットずつ手で修正した箇所もたくさんあるのでしょう……ありがとう秋田書店!



目次を見ると、漫画3篇、小説1篇 が収録されているようです。

ザ・トチロー (週間少年ジャンプ79年16号)
ザ・トチローⅡ (週間少年ジャンプ80年10号)
赤いデス・シャドウ (小説ジュニア81年1月号)
宇宙海賊キャプテンハーロック (玩具同梱の小冊子より78年)




さらにめくって、
「ザ・トチロー」 初出が1979年、と。

当時、「クイーンエメラルダス」は講談社のマガジンで、「宇宙海賊キャプテンハーロック」と「宇宙戦艦ヤマト」は秋田書店系列の漫画雑誌で連載されていました。ちょっと見たら、「帰らざる時の物語」も秋田文庫。「銀河鉄道999」は少年画報ですね。(あ、ヒラコーさん)

そんな中で、「ザ・トチロー」2編は、あまり接点のない集英社の週間少年ジャンプに掲載。
なんで週ジャン? それも1年も離れた掲載とはいったい?
と、不思議に思ってちょっと調べてみたら、「愛読者賞」というワードが出てきました。なんだそれは?

~愛読者賞とは?~
1973-1983年にかけて週刊少年ジャンプで行われた年次企画で、読者アンケートにより選ばれた10人の作家が読切を発表し、それをさらに人気投票で格付けする、というもの。人気投票で1位に選ばれた作家には、海外旅行のプレゼントがあった。

全ての漫画家が投票対象であるが、基本的にはジャンプ内での人気投票的な色合いが強いため、本誌に執筆している作家が選ばれている。ただし、読者アンケートの結果、ジャンプとはほとんど接点のない作家が選ばれる場合もあり、過去には松本零士やあだち充などの作家がノミネートされている。


おー、熱い企画だなー!

ジャンプ読者からすれば、自分の投票で、好きな作家さんの、普段の連載とはひと味違う読み切りが読めるんですよ!
しかも、結果によっては作家さんはジャンプの枠に止まらない、と来たら、これはめちゃくちゃ楽しみだったでしょうね。

しかし、選ばれてしまった人気作家にとっては、連載を抱えながら同時進行で45ページの読み切りをひねり出すのは、過酷な作業だったようで (あだちみつる先生も多忙ゆえに辞退したそうですし)、この企画は10年で終了してしまいます。いや、10回もよく続いたというべきなのかなぁ。


この愛読者投票の結果、79年・80年と続けて松本御大がノミネートされ、掲載されたのがザ・トチロー2編なのでした。松本ブーム最も華やかなりし頃、ですね。

ところで、この当時のジャンプのラインナップに、既にこち亀の名があって、名状しがたきおののきを感じました。

長期連載ってすげー……。



さて、最初のページは、真っ黒な宇宙にうっすらと浮かび上がる惑星をバックに、お馴染みの四角い枠で語りパート。

『 トチローが その星に降りてきたのは
 その星の半分が 夜のとばりにつつまれている 時だった
 もちろん あとの半分は 昼間のことだったと 語り伝えられている 』

この冒頭だけで もう、松本節フルスロットルじゃ ないですか!
幻想世界へ するりと 連れ込まれちゃいますね。

その、あらすじは……

高額の賞金がかけられた「バケモノ」を退治のするため、とある惑星を訪れたトチロー。
その惑星の美しい案内人・メールダと共に、「バケモノ」のすみかへと赴くが……。


……
…………

どうしよう。ネタバレを言わない方がいい話だろうなぁ。
二転三転するストーリーに手を引かれて、テンポよくオチまで連れて行ってもらえます。
中途半端にあらすじで知っちゃうともったいない。

いや、気にしないよ、って人は以下反転。



メールダの案内で辿りついた場所で、トチローは巨大な「バケモノ」に襲われる。
必死でやっつけた「バケモノ」だったが……なんと、機械仕掛けのハリボテだった。
わけのわからないトチローに、メールダは、「町へ帰れば理由がわかるから」と妖しく微笑む。

トチローが町へ帰ると、やけに機嫌のいい町人に迎えられた。
機械仕掛けの「バケモノ」は、町の人間のしわざだったのだ。
「この星は退屈な星でね」
「バケモノの賞金に惹かれてやって来る 賞金稼ぎやならずものたちの 驚きあわてる姿を 見物して楽しんでいるのさ」

トチローは腹を立てて町を出ようとする。
バケモノが嘘なら、賞金も嘘だったのだ。
トチローは船の修理のために金が必要だった。
金が稼げない惑星なら、長居する意味もない。
さっさと、もうひとつの「大事な仕事」を済ませておさらばだ。

だが、町を出ようとしたトチローは、はたと気づく。
この町の周りには、やけに墓が多い……そう、かつて賞金目当てにこの星を訪れた、ならず者たちの墓だ。バケモノが嘘だったのならば、彼らはなぜ死んだのか……。

その答えに到ると当時に、トチローは銃撃をうける。
間一髪。トチローを救ったのは案内人のメールダであった。
メールダがささやく。「ここへ来た賞金かせぎは、ひとりも外へ出さないわ」
バケモノの正体がバレてしまうと、町人の楽しみがなくなるから、と言う。

メールダに連れられて、どうにか町の人間から逃れたトチロー。
「どうして俺を助けたんだ?」と首をかしげる。
「こんな星に、嫌気がさしてきたからよ」とメールダは言う。「わたしも連れて行って」
戸惑うトチローに、メールダは儚げに目を伏せる。
「あなたのそばにいれば、宇宙の旅の苦しみにも耐えられる……」
美しい女にしどけなくすがられて、逆らえるトチローではなかった。

「すてきな船……」
トチローの宇宙船を見上げて、メールダがうっとりと呟く。
「まあね……」トチローは嬉しくって得意になって答える。「これ以上の船は、ここらにゃ ないよ。爆音が変なので、旧式船とまちがうけどね」

ふたりで船に乗り、いざ出発という段になった途端、トチローに向けて銃がつきつけられた。
なんと、メールダは、トチローの金が目当てだった

「あんたみたいな ガニマタチビメガネのサルを、好きになる女なんて 宇宙にひとりだっていると思うの?」「鏡を見なさいよ! 鏡で自分の顔をね!」
美しい女は辛辣にトチローを嘲る。

「男の マゴコロを ふみにじる 女狐め!」
憤慨したトチローは、船の仕掛けを起動して女を外へと放り出す。
慌てて逃げてゆく女の背を見つめて、トチローはふと鏡を見つめる。

「いつも この顔を 見て思う……俺が モテるはずが あるか……と」
鏡の中のトチローの顔がトチローを見返す。
「それなのに……いつも フラフラと なってしまう。あさましいと 思う」
思わず、ほろりと涙がひとつぶ。「くそ くそ くそ!」
「いつか ええことも あるわい!」

トチローの船が、大気を震わせ惑星を飛び立った。
その後に、町人はトチローが残していった奇妙な装置に気がつく。
金目のものかもしれないぞ、と町人はツルハシを振りかぶる。
鋭利な金属が、その装置に深々と突き刺さった。

「俺があの星に降りたのは、賞金稼ぎだけが目的じゃなかったと……もっとよく言っといても、ムダだったろうなあ あいつらは」
宇宙船の中で、トチローがひとり呟く。
トチローの残した装置は、惑星の崩壊を防ぐ安定装置であった。
装置は警告を発したが、町人が止まることはなかった。
宇宙船の窓から、弾け飛ぶ惑星が見えた。
「ザマー カンカン きしひしし」

『トチローが立ち去ったあと その星には 夜も昼もなくなった その星が なんという名だったか だれも思い出せない。 トチローがどこへ行ったのかも 知る者はいない。 だが 多くの人々は 信じている。 大いなるトチローは 今も 宇宙のどこかを くじけず旅していると……』



そんな、アルカディア号建造前の、若き日のトチローを主人公とするSF短編でした。
SFだけど、荒野があり、西部劇な酒場があり、快楽主義の町人がいて、したたかな美女がいる。

舞台設定だけ見ると、ガンフロンティアそのまんま。
ただし、このトチローは、たいていひどい目に逢いっぱなしで、すぐ絞首台に吊るされるトチローではない。
「宇宙海賊キャプテンハーロック」へ繋がる「ザ・トチロー」です。彼には、宇宙一の頭脳があり、宇宙船があり、自由と夢がある。

描きなれた舞台で、愛着のあるキャラをグレードアップさせて動かすとなると、松本御大も描いていて、さぞ楽しかったんでしょうね。同じ設定で1年後に「ザ・トチローⅡ」を描いたのも、やっぱり描きやすかったからじゃないでしょうか。

それにしても、79年80年の松本御大といえば、連載何本抱えていたのか、アニメと映画をどんだけかけもちしていたのか、スケジュールを考えるだにおそろしい。45ページの読み切りをポンと描けてしまうのは、天才のなせる技ですね。しかも、すごい、おもしろい。

一編の短編として読んでも、冒頭に出てきたアイテムや言葉が、オチにまで生かされるストーリーの巧みさに唸らされます。はー、いいもの読んだ。

帰らざる時の~を見ると、だいたい1篇10数ページから20ページ。戦場漫画シリーズは20ページちょいだけど、わが青春のアルカディアは50ページ。
20ページくらいの短編も切れ味が良くっていいけれど、50ページ弱ともなると、短編ながら読み応えがあって満足感ですね~。

また、今回の主人公がトチローというのも美味しい。
御大が最も長く描いてきたキャラクターであり、また最も身近に引きつけて描いているキャラクターではないでしょうか。飄々としていながら好奇心が強くて、理屈屋のくせに美女の誘惑にはてんで弱い。勢いよく怒鳴り散らしたかと思うと、ふっと鏡を見つめて自分の冴えない容姿を嘆いたりする。でも、へこみっぱなしじゃない。ちくしょうちくしょうと言いながら、また前を向いて走ってゆく。情が深くて親しみやすく魅力的で、深みと暖かさと愛嬌が大山一族には詰まっている。



が、しかし、ですよ。

繰り返しますが、これは1979年です。週ジャン16号なので4月ごろ。

この松本ブームど真ん中に、週間少年ジャンプ読者の少年達は、
なにを求めて松本零士に投票したんでしょうか。

前年公開された「さらば宇宙戦艦ヤマト」がの記憶もまだ新しく、
お茶の間では「銀河鉄道999」のTVアニメが人気を博し、
TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト2」がちょうど終わったばかりでした。
アニメハーロックは2月に完結しているが、漫画ハーロックはまだ連載終了前・既刊4巻で、
映画わが青春のアルカディアも、SSXもまだ放映されていない頃です。

想像するに、「メーテル! ヤマト! メーテル! ハーロック! メーテル! エメラルダス!」だったんじゃないでしょーか。結果、やって来たのが、チビ短足ガニ股メガネだったわけで……その、なんだ。あんまり、がっかりすんなよ少年達!

一言もハーロックの名前が 出てこないので、
そもそもトチローがハーロックのキャラだと、わからなかったジャンプ読者もいただろうなー。


いやいや、当時の小中学生の間でも、ジャンプの愛読者賞は大いに話題になったことでしょうからね。

アニメハーロックをちゃんと見ていた子が、「ハーロックの親友で、アルカディア号の設計者だぞ!」って教えてくれたかもしれません。

コミック派の子は、「トチローなんて出てきたっけ?」と首を傾げたかなぁ。まだ墓参りエピソードまで単行本化してなかった時ですからね。

いちばん得意になれたのは、マガジン派の子でしょう。「トチローはハーロックの親友で、エメラルダスが愛した、たったひとりの男なのよ」と自慢できたのですから。

中学生くらいになると、年上の兄弟がいる子なら、ガンフロンティアまで読めたかなー? おこづかいでジャンプを買ってもらってるようなお子様には、まだちょっと早いけれど。

いやー、いいですね。すごく、そこにまざりたい。
ダイバー0を持って行って、「ほら見て!これ、この船デスシャドウなんだよ!」とか言ってみたいですね。
デス・シャドー



とはいえ中には、
「でも、俺は999が読みたかったなー。こんないじわるな女じゃなくて、メーテルがいいよ、やっぱり」などと、ふてくされていた少年もいたかもしれません。しかし、君は間もなく、君の大好きな999の世界で、ふたたびトチローに出会うことになる。そう、これは劇場版999の4ヶ月前の出来事なのです。

以前にした雑談でちょっと書きましたが、
「ザ・トチロー」は劇場版999のシナリオが生まれる過程での副産物だったのでは、という推測。

読んで、そして↑の砂漠の中のデスシャドウを見て、やはりそうだったんだろうなと思えてきました。砂に埋もれてるわけじゃないけれど、それでもこの構図はあまりにも劇場版999のデスシャドウに酷似しています。御大の頭の中にトチローとハーロックの青春が、ずっと昔から(それこそガンフロ以前から)あったにしても、形が定まるきっかけは、劇場版999だったんだろうなぁ、と。

この79年の4月に、劇場版999の内容を知っていたのは映画スタッフと松本御大だけでした。集英社編集が知るわけもないトチローの前日譚を、盛大にジャンプに仕込んだ御大は、悪戯心たっぷりだったに違いありません。それとも、サービス精神かな?

やがて夏休み。
少年少女が、家族と見に行っただろう劇場版銀河鉄道999。
映画館から出てきた少年は、興奮を隠さず親に語ったのでしょう。
「俺、トチロー知ってるぜ! こーんな、でっかい化け猫と戦ってさ、やっつけるんだ! でも、実はそのバケモノが――」
誇らしげに語る少年の話を聞いてやりながら、親もまた、子ども向けアニメの枠には、到底おさまらない あの映画の余韻にひたり、この子もいつか大人になるための旅に出る日が来るのだと、そんな少し遠い未来へ思いをやったかもしれません。


あー、リアルタイム羨ましい!
私も松本零士の掌の上で転がされる子供時代を送りたかった……!



さて、その一年後となると、既にハーロックの連載は終了していて、好きな雑誌で好きなように、ハーロックを描けるようになっていました。御大も嬉しかったのか、それとも集英社のリクエストだったのか、翌年のザ・トチローⅡのサブタイトルは、「わが青春のハーロック」に。いやいや、なんだこのサブタイ(笑) しかし、45ページ中の終わり5ページしかハーロックは出てこないんですよ、ちょっと詐欺じゃないかー?

「ザ・トチローⅡ」は、舞台設定は「ザ・トチロー」そのままに、いくぶんコミカルさが増したような。
全体的にトチローもハーロックもかわいくってかわいくって……!

ハーロックが、「トチロ~~」って呼ぶコマと「トチロー」って呼ぶコマあるんですが、誤植じゃ……ないのね?
いや、かわいいからいいんだ。 あとトチローが「アルカデア号」って言ってるんですが……かわいいからいいよ!
(井上さんと富山さんに読み上げてほしかったなーっっ)


「かっこいいハーロックはりんたろう監督にまかせて、四畳半系ハーロックをもっとくれ!」
と、言ったこともありましたが、求めていたものはここにあったようです ヽ( ´ ▽ ` )ノ



さて、このザ・トチローⅡには、今度こそしっかりとハーロックが出てきて、デスシャドウが彼らふたりの船であることが見て取れます。トチローは新エネルギー燃焼装置を研究開発中で、ハーロックは新エンジンのための資材を探しに行っていた。そして、トチローの頭の中にはこれから造る「アルカデア号」の設計図があると言う。

だいぶん設定が前に出てきましたね。
こういうのも、たぶん劇場版999をきっかけに定まっていったところだと思います。
なにせ、アニメハーロックのロマンアルバムの時点では、

「アルカディア号とトチローの結びつきってものは、“友達”っていう以外はあまり考えてない」
とおっしゃっていた松本御大ですからね。(そんなふんわりしてとは……!)


劇場版999のトチローの死に様から逆算して生まれたのが、ザ・トチロー2編であり、だからこそデスシャドウが必ず作中に描かれる。トチローはデスシャドウで死ぬのですから、それに見合うだけの思い入れがないといけませんからね。

ほぼ同時期に、劇場版999の未来として、宇宙海賊キャプテンハーロック5巻の墓参りシーンが描かれる。

トチローの墓参りを済ませて、原作ハーロックが 「第一部・完」 を掲げたのは象徴的です。
松本御大にとって、マゾーン戦の決着は、もはやさほどの重要事項ではなくなっていたのでしょう。

なんとならば、御大はハーロックの死による結末は、絶対に描かないからです。
とすると、勝つしかない。原作の雰囲気だと、たぶんマゾーンを撃ち破って終わることでしょう。

そこに、葛藤や哀愁や無常感は生まれるかもしれませんが、なにがどうなろうとハーロックの在りようは変わらない。成長も変化もしようがない。キャプテンハーロックは、既に完成されたキャラクターなのですから。……うーん、優先度が下がってしまうのもしかたないか。ともかく連載を終えれば、他社の誌面でハーロックを好きに動かせますしね。

成長する余地があるとしたら台羽くんだったのですが、御大はもう彼の成長を描くよりも、ハーロックとトチローを描きたくなってしまった。かわいそうな台羽くんです。(アニメでもたいがい雑な扱いをされていたけれどw)

松本ワールド全てが多層的につながる、と考えたときに、トチローとハーロックを繋ぐテーマは、ストレートに「友情」でしょう。時代も世代も魂も超えて、彼らを結びつける友情こそが松本ワールドにおけるメインストーリーならば、「俺たちの旗は この通り ひるがえっているぞ、トチロー!」こそが、エンディングとしてふさわしい。マゾーンの決着より、生死を超えた友情を描く方が、重いのですから。というわけで漫画ハーロックは、ああいう終わり方をしているんだろうなぁ、と遠く思いを馳せたりしてしまうのでした。







さて、松本零士作の小説 「赤いデス・シャドウ」

松本御大の小説って初めて読むので嬉しいですね~。
物語は宇宙版ガンフロンティアといったところ。

ちょっと名前は違うけれど、だいたいハーロックのような男が、トチローのような男と、シヌノラのような美女と、三人で宇宙を旅しています。SFだけど、直情的で若いハーロックなので、ガンフロンティアのW・F・ハーロックJr.の方が性格は近い感じですね。

漫画だと描かれないようなキャラクターの心情まで、つまびらかに語られているのが貴重です。
ハーロック視点の語りを見ると、「ハーロック、おまえこんなこと考えてたのかぁ」と、なにやらしみじみ読んでしまいます。

ところで、この小説は後に「零次元宇宙年代記」という本に加筆されて収録されているらしいのですが、



こっちに収録されている小説3作のうち、「赤いデスシャドウ」は真ん中の話にあたるんですって。
なぜ中途半端にこれだけ未収録短編に掲載されているんだろう……?



個人的に、この「赤いデス・シャドウ」いちばんの見どころは、小説よりも挿し絵です。
いや、小説も楽しかったけど! すごく続きが読みたいけど!

それに増しても、挿し絵が美しいのですよ……!
ページの半分~丸ごと1ページ挿し絵だったりするので、当然のことながら、漫画の1コマとは大きさも丁寧さも段違い。

シヌノラ

筆づかいまで見て取れる人物や風景、メタニックや銃に惚れ惚れします。

艦橋

もうずっとこのクオリティと細密さで御大の絵が見れるなら、小説のほうが嬉しいかも……。

ハーロック 美人

表紙のハーロックも、この小説の挿絵からなんですが……
知ってましたか? 漫画のちっさいコマじゃわからなかったけど、松本零士は、ハーロックをこんなにきれいな男だと思って描いていたんですよ……!

「かっこいい」「凛々しい」「勇ましい」じゃなくて、「端整な」「美しい」「きれいな」という形容詞があてはまる。松本美女の繊細なパーツとは明らかに異なるのに、このハーロックは、ちょっとハッとするような美丈夫です。
(この絵で、わりと品のない粗野なハーロックをガシガシ書いてしまうんだから松本御大はすごい。さすが原作者ですw)

今まで、ハーロックの容姿はきれいな小松原作画で思い浮かべてましたし、そう書いてきましたけど、そうか……原作から、かくも眉目秀麗だったんですね。びっくりした。だって、漫画ハーロックじゃあ男に対して美醜を語るような場面もキャラもいないじゃないですか。ガンフロンティアは、そもそもハンサムかどうかも絵から判断できないし……。そうか、そうかぁ……御大はハーロックの顔好きなんだろーなー。





とりとめのない感想になりましたが……って、まだだ。まだあった。

ハーロックの玩具についていた小冊子からの復刻。
玩具って? と思って調べたらこういう戦闘機の、いわゆる男玩というやつですね。
エアダッシュ①

これはコスモウィングで、ボレット1号もあったそうな。

エアダッシュ②

原作漫画にはあんまり登場しない艦載機ですが、
アニメ版は玩具を売るためになのか戦闘を派手にするためにか、ちょいちょい出てきます。

それにしても、アニメハーロックは、いったいあの世界観で、どこの層に向けて売り出していたのでしょうかねー。
(私は、水木一郎さんの、「それまでのアニメイベントでは子供や家族連ればかりだったのに、ハーロックのレコード発売イベントでは、ほとんどが女性客で埋め尽くされていた」という言葉が忘れられないのですが)

こういう男の子向けの玩具に、世界観と艦載機紹介のための短い漫画がついていたそうです。
子ども向けだからなのか、海外にも売っていたのか、アメコミのような横書き仕様。
印刷が粗いので、たぶん、復刻に技術的にいちばん苦労したのは、この冊子だろうなぁ。

小冊子

コレクション的には価値があるけれど、別に目新しいものでもないかなー、
と、思っていたら、ラフレシアさまがなんか言ってる……?



実は私たちマゾーン人の祖先は、はるか昔 太陽系に来ていたのです。
今を去ること 200万年前、私たちは金星にやってきて、そこに原住民を見いだし、
その一部を地球に移住させた。 それが 現在のあなた達の祖先なのです。




……

……えっ? そうだっけ?

いや、地球人は元・金星人だっていう、そういう設定がありましたっけ?

たしかめようと原作をひっぱり出して読んでいたら……

あぁー……( ̄▽ ̄)ウム



この小冊子は、原作の絵を切り貼りして、違うセリフをあてはめているんですね。

原作:松本零士 構成:デザインメイト

という表記はいったいなんだろうかと思っていたら、そういうことか。
台詞に対する信頼度が、一気に下がりました(笑)
逆ハーロック

あと、台詞を横書きにする関係でちょいちょいコマを左右反転させているのですが、
おかげで1ページ目からハーロックの眼帯が左目にあるぞ(笑)

特に見るべきところはない玩具のおまけ程度、と思っていたのですが、
こうなると俄然 「このコマは原作のどこのページなのかゲーム」 に熱中してしまいました。
編集者の思うツボな気がする……!

いや、もう思うツボでもなんでもハマりましょう。
この未収録短編を、復刻してくれた秋田書店編集部に感謝です。






さて、今度こそ。
先月まで未収録短編が手に入らないと泣いていたのに、どうしてこんな感想を書いているかといいますと、

親切な方があらわれて貸してくださったんです!

世界の半分は、やさしさでできているのかもしれない……!!


ここでしか読めない未収録短編が読めたのは、もちろんものすごく嬉しい。
それ以上に、声をかけてくださったこと、その圧倒的なやさしさが嬉しい。

こんな辺鄙なところで趣味につっぱしってるくせに、おまえ何を言っているんだ?と思われるかもしれませんが、コメントや拍手ってすごく、すごく、ありがたい。

そもそもが、「ハーロックいいよね!」っておしゃべりできる相手がいない寂しさを、糠味噌に漬けこんだら生まれたブログですからね。たいていはひとりで白飯をかきこんでいるのですが、たまに「美味しいよね」って言ってくれるひとがいたら、お茶碗片手に全力で走っていって握手したいくらい浮かれます。

あと、このブログは来世のために石を積んでるようなところもありまして、たとえば2020年くらいに、なにを思ったか急にアニメハーロックにハマったひとが偶然ここに来て、ニヤニヤしてくれたらいいのになぁ、と思って文字を書いています。

「私はこれが好き」「私も好き」っていうのは、かつて同じ場所・同じ時間にいないと共有できないものでした。たとえば、学校の教室で「昨日のポケモン見た?」とか「ドラクエどこまで進んだ?」とか。

それが!インターネットの普及のおかげでおそろしく気軽に、時間も場所も離れた誰か知らない人とだって「好き」が共有できるようになったんですよ!すごいね! 松本作品なんて、まさしくネットの恩恵にドップリです。リアルタイムは30~40年前だからなぁ……。

二次創作や考察や感想はもちろんオリジナルあってこそのものですが、「これが好き」「私も好き」を共有する楽しさは、また別の喜びとしてあると思っています。すばらしい「好き」を残していってくれた先人に深く感謝しつつ、些少ですが自分の「好き」も残していければいいなと思っています。


なんか話がそれましたが、ほんとうにありがとうございました!

【ロマンアルバム】初回ミーメ語り



ロマンアルバムをネタに思いついたことをしゃべる記事、はじめます


まずちょっと概略をば。

ロマンアルバム30
ロマンアルバム・デラックス30 キャプテン・ハーロック
発売日 1980/02/25
出版社 徳間書店
定価 680円也

アニメハーロックの最終話から一年後の発売……となっていますが、なーんとなくインタビューの雰囲気などからすると、放送終了間もなくという感じがしますね。その後編集やらタイミングを見計らってやらあっての80年2月刊行といったところでしょうか。アニメの熱気がまだ残る中で、スタッフさん方からまんべんなくインタビューを取っていて、アニメハーロックファンとしてはぜひ抑えておきたい一冊なんですが、読んでみると、なんというか、おおらかな雑誌でした。予算とか人手とかなかったんかなぁ……にじみ出る出作り感……(笑)

私の場合、入手経路はヤフオクでした。
こういう古書としては、比較的出回ってる多いんじゃないでしょうか。当時の松本零士ブームに感謝ですね。
なお、ヤフオクで探す場合は、「ロマンアルバム」や「アニメージュ」といった単語を入れると、逆にひっかかりにくいようで、ジャンル「本、雑誌」から単語は「ハーロック」だけで検索するとこの黒い表紙があったりします。参考までに。

もう絶版ですし、36年前の雑誌ですし、
電子書籍化とかの予定もたぶんないだろうとたかをくくって、インタビューなんかはそのまま抜粋しちゃいましょう。


そんな初回はミーメさん。
ミーメ
( 画像は「アルカディア号の謎」より )Miime/Mime/Mimay/Melody

「異星人のもつファンタジックなムードをたいせつにしました。あのしゃべり方ですが、カタカナ通りにやるとコンピューターみたいになっちゃうので、お酒を主食としている星の女らしくトロッとして、フワーッと語尾が溶けちゃうみたいな感じにしてみたんです。
 零士先生も気に入ってくださったようでホッとしました。ただ、異星人といっても言ってることは普通の人間といっしょでしょ。だからそのへんのかみ合わせがむずかしかったです。それと顔、形からいってもわからない部分の多い、とらえにくいキャラクターでした。
 命をかけてハーロックを愛する女といっても、その愛はもう人種(?)を超えちゃってたんじゃないかしら……。」声・小原乃梨子




ミーメのふわっとした、とらえどころのないしゃべり方は、声を担当された小原さんのアイデアだったんですね。
原作のミーメは漢字交じりのカタカナでしゃべるキャラですが、いわゆる外国人のカタコトとはまたちがう、異星人のふしぎな雰囲気に解釈して、ああいう声をあててくださったのはすてき。おかげでミーメがより神秘的になりました。

原作のミーメとアニメのミーメはちょっとずつ違うんですが、ひとつにアニメのほうがより異星人っぽくて、原作のほうはもうちょい人間くさい、という面があるようです。たとえば、原作ミーメは食事シーンがある。「アルコールが主食」という生き物なので、ちゃんと消化できるのか気になるところですが、カニとか食べたりします。かわいい。

この原作とアニメ差異は、アニメスタッフの捉え方によるのかと思っていたのですが、もしかしたら、この小原さんの神秘的な声の演技にひっぱられたとこもあるかもしれませんね。

さて、ミーメを語るにあたって、最初はなにから……と思ったのですが、
やっぱりここからですよね。



帰らざる時の物語 より 「宇宙戦艦デスシャドー」

原作キャプテンハーロックの連載開始より以前の短編。
あらすじを語ると……、


この時代の地球は赤い不毛の星と成り果てていた。
その地球に一隻の宇宙船が近づく……。
その艦に乗るのは美しい女の姿をした異星人。

突然、宇宙船は攻撃を受けた。同時に、船に侵入してくる者がいる。
宇宙の闇が忍び込んできたような、黒衣の男であった。
異星人は侵入者に叫ぶ。
「助けて!私たちはただ探索の目的で来ただけだ」
だが、侵入者の銃口は異星の女につきつけられ、微動だにしない。
無情な声が響く。
「しかし、あの赤い惑星を見た。おまえたちは見てしまったのだ。見てしまったのだ!」

引き金は引かれた。
撃ちぬかれ、絶え絶えの息の下で、異星の女は問いかける。
「おまえの 名は…… おまえの名と 所属生命帯の 名は……?」
男は振り向き、隻眼の一瞥を女にくれた。
その眼帯の奥でいくばくかの情けが動いたのだとしても、ひとつ残された眼はなんらの感情も見せなかった。

「キャプテンハーロック。俺は俺の世界だけに生きている。どこの生命帯とも関わり合いはない」


黒衣の男の名はハーロック。戦艦デスシャドーの艦長であった。
彼と彼のクルーたちは、生命体の息絶えた赤い惑星を守っていた。
いつの日にか、地球にまた人間があらわれることを信じて……。
そして、その日は来た!

艦橋のスクリーンに、猿のように地を這う男たちが映っている。
「あれは人間だ。たしかに人間だ」
「キャプテン! すると、やっと地上に人間が出てきて……」
感涙にクルーの声が震えて途絶える。
「泣くな!! 我々はこれを信じて宇宙をさまよっていたのだぞ」
鋼鉄のように厳しい声でハーロックは叱咤する。
しかし、この日を待ちわびていたのは、彼もまた同じであった。
うつむき涙を拭うクルーたちを両手で抱きしめて、「泣くな!!」とハーロックはふたたび繰り返す。
その声には、抑えきれぬ喜びと、クルーをふるいたたせる暖かさが、同じだけ込められていた。

やがて、破壊した異星人の艦を探して、外宇宙から宇宙船の一団が地球に近づく。
ハーロックたちは、女ばかりの異星人が、地球の人類と混血可能な種族であると知った。
男ばかり生き残っている地球の人間が子孫を増やすためには、異星の女が必要であった。
デスシャドーは異星人の宇宙船を破壊し、女たちを地球へ送りこむ。

「あいつらは二度と宇宙へ還ることはできない。
 そしてあいつらは、女だ。地上には男がいる。
 地球はよみがえるだろう。俺たちの地球は生き返るのだ」
ハーロックは地球を見つめて微笑んだ。
だが、その背にいっせいに銃がつきつけられた。

「艦長!!」
「そんなものはしまえ。わかっている」
手に手に銃をかまえるクルーをふり返って、ハーロックは静かに言葉を続ける。

「おまえたちが地球へ帰るのを止めはしない。あの女たちといい子どもをつくれ」
「艦長は?」
「俺か……俺には……この戦艦がある」
その言葉に答えるように、艦橋に並ぶ計器が明滅する。

「この、大戦艦が……この大戦艦と永遠に生きるのだ!!」

クルーたちは地球へ降りていった。
デスシャドーには、ハーロックだけが残った。
たったひとりのはずの艦内に、女の声が響く。


デスシャドーミーメ
1975年プレイコミック11月13日号掲載


さて、私の拙い再現では伝わらないかもしれませんが、傑作です。少なくとも私は好きです。
「帰らざる時の物語」は、松本御大の初期からのSF短編をまとめた一冊。
御大の宇宙とメカと美女とSFが心ゆくまで堪能できるのですから、もう最高としか言いようがない一冊です。

この「宇宙戦艦デスシャドー」の末尾にあらわれる女性……ハーロックの妻か恋人だろうと思われるひとの、頭部。
「宇宙海賊~」のプロトタイプと言える短編の彼女から、「船の心」である性質はトチローへ引き継がれ、「ハーロックに命を捧げた女」としての性格はミーメに受け継がれました。ミーメは彼女の起源として、ハーロックの妻・恋人の属性を持っているのですね。それは、「宇宙海賊~」のハーロックとミーメにもそこはかとなく受け継がれています。



……原作はな!

ミーメがハーロックに命を捧げる理由や心情を切々と語り上げるシーンが、原作には何回かあるのですが、わりとアニメでは削られています。アニメのハーロックが寡黙になったように、アニメのミーメも言葉少ない女性になりました。口に出してしゃべっていないだけで、同じことを考えていると捉えてもいいのですが……。アニメスタッフは、全力でハーロックを愛してるくせに、ハーロックを孤独へ孤独へと追いやるようなひどい愛し方をするからまったく信用ならない(笑)

原作では、はっきりとハーロックを「愛スル人」と語っているんですね、ミーメは。
ハーロックもまた、その愛情を知って、その濃やかな心づかいに対して、「ミーメ、ありがとう」と言う。
この関係好きですね。このふたりには照れとか屈折とか遠慮とか驕りとか駆け引きとか嫉妬とか、人間の男女の恋愛につきものの陰影がほとんど感じられない。ミーメはただ彼女になしうる全てでハーロックを愛するし、ハーロックもまたてらいなくそれを受け入れている。ミーメの最大の愛情表現が「命を捧げること」ならば、ハーロックはミーメの「命を貰いうけること」でその愛情に報いるんですね。松本御大は、ハーロックもミーメも深く愛着を持っているキャラなので、実際に生死を計るような場面にふたりを置くことはなかったんですが、アニメの最終話でハーロックは地球を離れる時にミーメだけを伴う。アウトサイドレジェンドでも、他のクルーを船から降ろす場面でミーメは例外。それは、ミーメへの愛情でもありながら、底には深いあわれみが横たわっているように思われました。

現代社会の価値観とは違うけれど、松本ワールドでは「生物にとって子孫を残すことはなにより貴い」という価値観があります。「帰らざる時の物語」はプリミティブにそれを語るし、映画「わが青春のアルカディア」のトカーガの末路もそうだった。
故郷のジュラ星が滅びて、ひとりの同族もいなくなってしまったミーメには、もはや子孫を残す術がない。ジュラ星人の血はミーメを最後に絶えてしまう運命にあります。つまり、その価値観の中で、ミーメの生に意味はないのです。

ミーメは故郷の星と共に、死んでいった同族の仲間たちと共に、ジュラ星で死ぬこともできたはずです。けれど、彼女はハーロックに出会ってしまった。「生きたい」と願ったのはミーメが先でしょうか、それともハーロックが「俺の船に乗れ」と誘ったのでしょうか。どちらにせよ、ハーロックはミーメの命を救ってしまった。途絶えるはずだったジュラ星の血を、長らえさせてしまった。ミーメは、ハーロックが摘みとった花なのです。もはや意味のない生を救われたミーメが、ハーロックに命を捧げると誓ったのは自然な流れだったのでしょう。ハーロックのために生きることを、ミーメは自らの生の意味にして生きているのです。

では、ミーメを助けたときのハーロックに、そこまでの自覚があったのでしょうか?
最初はなかったかもしれませんね。ただ、ハーロックもさみしかった。さみしい女を放ってはおけなかった。美しいが種を残さない徒花を、そうと知っていようと知らなかろうと摘みとってしまったハーロックは、その命を引き受けなければないけない。そうしなければ、ミーメには生きる意味はなくなってしまう。

ミーメには愛情と献身があり、ハーロックには愛情と憐みがある、というのがこのふたりの関係だろうかと思っています。

ただ、子孫うんぬんについては、松本御大は形が人間っぽければ異星人との交配もできる、という話をよく描かれます(宇宙戦艦デスシャドーだってそう)。なので、ハーロックの曾孫はお酒を飲むとちょっと光る体質だとか、そんな話になってもそれはそれでありかなぁと思ってしまう。愛猫の名前をつけるくらい、御大はミーメを気に入っているのでしょうから。

ただ、アニメのミーメは、できないんだろうなあ……。
最終話のハーロックは、魔地やドクター、ヤッタランも含めて、クルーをみんな地球に降ろしてしまいました。台羽に向かって「歴史をつくれ。おまえたちのな」と言い残した言葉は、宇宙戦艦デスシャドーの「あの女たちといい子どもを作れ」と同じ意味ですね。だから、ミーメは地球に残らないのです。ミーメの歴史は、ミーメで終わってしまうしかないのですから。

ミーメだけがハーロックと共にアルカディア号に乗ってゆく、というあの結末は哀しいものに見えました。
ハーロックとアルカディア号に宿るトチローのふたりだけで旅立つのならば、あるいは、「最初に戻ってやりなおす」姿に見えたかもしれません。若い頃に地球を飛び出したあの日と同じ、身ひとつ船ふとつでやりなおすのだ、と。けれど、ミーメがハーロックを追ってアルカディア号に乗る姿を見た時、「私ハ ハーロックニ 命ヲ捧ゲタ女」と言ったとき、そこにはっきりと死の匂いがありました。

もしも、ミーメが黙ってハーロックの背を追って乗船したならば、こうは感じなかったでしょう。
けれど、蛍はミーメを呼び止めた。蛍には、この別れが最後のものになるという予感がどこかであった。ミーメがいちどだけ振り返り、作中で何度も繰り返したこの言葉を言った時、その予感は明確な死の形をともなって肯定されました。
アルカディア号が飛び立つあのエンディングは、私には黄泉路をゆくような旅に見えてしまうのです。

いろんな解釈があるのでしょうけれどね。




話は変わって、アニメのミーメといえばテーマソングがあるんですよね。


作中で挿入歌として使われなかったがな!


なんでしょうね、録音はしたものの、使いどころが見つからなかったんでしょうか……?

「ミーメのエレジー」は澄み切った高音と、耳に馴染まない、なんともいえない不思議なふしまわしが印象的な、異星人のミーメらしい歌です。で、この歌を歌っているのが、かおりくみこさん。

劇場版999で、リューズの持ち歌「やさしくしないで」を歌っているのもかおりくみこさん。
そして、そのリューズの声は、ミーメの声の小原乃梨子さん。

映画リューズさん

「ミーメのエレジー」は、結局アニメハーロック作中での出番はなかったものの、
かおりくみこボイスの弾き語り歌は劇場版999で、リューズの歌として生まれ変わりました。
りんたろう監督の中で、かおりくみこさんの歌をハーロックで使えなかったのは、悔しい気持ちがあったのでしょうかね。

それにしても、ミーメも登場する映画で、小原さんを別キャラの声に使うとは、よっぽど気にいってたんですね、監督。と、以前はそう思っていたのですが、「さよなら銀河鉄道999」で「ミャウダー=トチロー=富山敬」を仕込んだ前科(?)がありました。単なる個人的趣味で声優を選んでない……かもしれない。

先日知ったばかりなのですが、TVアニメ/原作の999にも、ハーロックは出てくるんですね。
その、最初の登場は「時間城の海賊」という話。

タイトルから察しがつきそうですが、劇場版999のヘビーメルダーはこのエピソードを下敷きにしているのですね。
いくつか違う点があって、ひとつに時間城の主は、機械伯爵ではなく、ハーロックを騙る悪党である、ということ。
そして、劇場版999のリューズさんのかわりに、レリューズという女性が出てくるということ。
このレリューズさん、酒場でギターを弾いて歌い、時間城の主である偽ハーロックの愛人、というほぼリューズさんままなのですが、ちょっとだけキャラデザに変更がありました。




服が、紫になった。

時間城弾き語り


9割がたミーメやないか!

考えてみたら、偽ハーロックの愛人として「弦楽器を爪弾く青髪・紫服の美女」が出てくるのは、統一感があるというか、コンセプトとして正しさを感じるといいますか。劇場版999のリューズさんが、ミーメと同じ声で、かおりくみこの歌をうたうのは、こういう下地があったからかー、とふに落ちました。


「ハーロックっぽい男によりそう青い髪の女は、CV.小原乃梨子がいい」


という思いがあったんでしょうね。
あ、やっぱり監督の趣味かな(笑)



で、これを確かめるために、TVアニメの銀河鉄道999を見ていた私は、流し見ていたエンドロールに並んだ五文字を見て、思わずPCマウスをぶん投げそうになりました。TVアニメ銀河鉄道999全101話中たった5話しかない、作画監督:小松原一男。その一話が、この「時間城の海賊 前編」だったんです。
(小松原さんといえば、初めてハーロックを「動かした」作画監督さんであり、78年版アニメを筆頭に、劇場版999、わがアル、SSXと、ハーロックの絵をずっと支えてこられた方でした)

「時間城の海賊」の物語で、ハーロックって顔を見せることはないんですよ。
当時、ハーロックと999は別の漫画雑誌に連載されていたため、版権の関係で999にハーロックが登場しておおっぴらに活躍するような漫画は描けなかった。だから、TVアニメの999のこの話においても、ハーロックはずっとフードで顔を隠したままでした。そんな、登場したとも言いがたいハーロックであったとしても、「ハーロックなら、小松原さんに描いてもらわなきゃいけない」と監督が考えたのか、それとも「ハーロックならば他の人には譲れない、俺が描く」と小松原さんが名乗りを上げたのか。どんな経緯があったのかは、もはや想像するしかありませんが、この結びつきの深さを感じてたまらなく嬉しかったですね。きっと36年前にも、エンドロールを見て喝采を挙げた人がいたと信じています。



だいぶんロマンアルバムから外れたような気もしますが、
こんな調子で他のキャラやスタッフさんについても語ってゆけたらいいなと思っています。



Captain Harlock

【雑談回】何度目でも劇場版999のエンディングは泣く


一週間に一回くらいはなにか更新したいと・・・(10日ぶり)


(´・ω・`)




<まんまと銀河鉄道999のサントラを買ってしまった話>

ちょうどレンタルビデオ屋で「銀河鉄道999」と「さよなら銀河鉄道999」の映画を借りて観ていた頃でした。
劇場版一作目については都合三度目のレンタルなので、そろそろ買えよと我ながら思うのですが、それはそれとして。観たついでに、ちょっと999の音楽周りのことを調べていたら、すてきなブログに巡り合いまして、気づいたら999のサントラをAmazonのカートに放り込んでいたのでした。

これだ。
ああああああっ、メーテル美しい・・・・っっ
紙ジャケ999
交響詩 銀河鉄道999 (紙ジャケット仕様) Limited Edition, HQCD

紙ジャケット仕様とありますね。
どういうことかと言うと、しっかりめの厚紙の間にCDと歌詞カードが挟まってる形でした。
レコードのジャケットを想像してもらえると、たぶんそれだと思います。
「レコードをそのまま復刻デザイン」というコンセプトなのでしょうね。

その証拠にほら、CD上面もこんな感じに、
999CD盤
ギザっとしてるんです!
レコードを持っていないので比較できないのですが、たぶん真ん中のオレンジの部分も当時のLPデザインをそのまま生かしているんでしょうね。50代の懐古趣味を的確に狙い打ちしてくる日本コロンビアさん、さすがです。

もちろんCDのデザインだけじゃありません。歌詞カードまでLPを完全再現!
・・・すると文字が小さすぎて読めない!
999CD歌詞カード
LP→CDサイズだと四分の一くらいになりますもんね。そりゃ読めないわ。
でも、ご安心を。別紙でちゃんと読めるフォントで、文章だけ載せてくれています。
これは「読めない歌詞カード」をあえて入れる製作者のこだわりに感じ入るところ。

実際、この歌詞カードのデザインがすごく良い。表紙とそろいの宇宙の暗色を背景に、挿入歌として流れた映画のワンシーンが、それぞれ挿し絵のように並んでいます。また、一曲ずつに、(おそらく作曲家の青木望さんによる)コメントがついているのも嬉しい。歌詞カードを見ながら、映画を思い出してゆっくり音楽に浸れそうです。さらに、歌詞カード裏面には、音楽プラン・絵コンテ・キャラクター設定資料など、映画の舞台裏までちらりと覗かせているのが心憎い。なんだかもう、オタクに親切過ぎて戸惑うほどです。アニメのサントラってこういうものなんでしょうか。とにかく「わかってる~っ」という心遣いがたっぷりと。

中身については、ぜひこちらのブログを紹介させてください。
銀河鉄道999への濃やかな愛情と音楽への深い造詣に裏打ちされた文章は、紹介文そのものが一篇の物語のようでした。当時の雰囲気や、作り手にまで言及していて、読みごたえのある記事です。こんなにおもしろくてしっかりした文章を、無料で読めていいんだろうかと思うくらい。

「銀河鉄道999」の時代
虫プロと東映動画とりんたろう
東映動画の空前絶後の仕掛け
二つの言の葉はゴダイゴの調べに乗って 「銀河鉄道999」
永遠の青春を謳う 「交響詩 銀河鉄道999」

(この一連の999にまつわる記事のおかげで、まんまとサントラを買ってしまった・・・のはまちがいないのですが、私が買ったのはここで紹介されている〈ANIMEX 1200シリーズ〉のCDじゃなくて、紙ジャケット仕様の方。いや、発売年が新しいし、HQCDリマスターで音質が良いと書いてあったので・・・。実際、手元に届いてみると、紹介したとおりデザインも歌詞カードもすばらしかったので、〈ANIMEX 1200シリーズ〉より1000円ほど高くても、紙ジャケット版で正解だったと思います。でも、もしブログで紹介されているページで買ったら、アフィリエイト的ななにかが発動したのかもしれないと後から気づきました。ちょっと申し訳ない気持ち)






<休みの日にちょっとずつSSXを鑑賞中>

まだ全部見れていないのですが、とりあえず前評判より楽しんでます。
78年版より対象年齢下がってるのはたしかですが、少年主人公の冒険物語と思えばなかなかに楽しい。
常に作画はきれいなので、78年版とちがってそこは安心して見れますね。
物語の作りは、悪いってわけじゃあないんですが・・・切れ味が良くないというか、甘いというか・・・。
ハーロックって主人公に置くとなると、むずかしいキャラクターなんだろうなぁと思います。
でも、富山トチローと井上ハーロックが会話してるだけで、ありがとう東映!って思ってしまうので、私はチョロい(笑)
見終わったら、まとめて感想書こうかなぁと思っています。

でも、忘れそうなので、メモ程度の感想をひとつ。

エメラルダスとトチローとハーロックの三人組を、はっきり描いたのって、もしかして、「わが青春のアルカディア」とこのSSXが初めてなんでしょうかね。エメラルダスもハーロックもキャラが定まってるので、今さらガンフロンティアを地でいくわけにもいかず、かといって原作999や彼女の名を冠する漫画「クイーンエメラルダス」で、この三人の関係を満足に描いてくれているわけでもなく・・・版権の関係で共闘させるのが難しかったんでしたっけ。劇場版999でさえ、トチローがすぐ死んでしまうので、三人そろう姿は見られませんでした。SSXスタッフは、どういう関係を描くか、きっと苦労したのでしょう。

エメハロトチ
(作画きれいって言ったけど、この回はそうでもなかった^^;)

トチローのエメラルダスへの恋慕は、奥ゆかしい片思い。
「俺みたいな男に惚れられたら、エメラルダスも迷惑だろう」といった、コンプレックスめいたセリフまで言う。傍から見たら両想いなんですが、トチローは気づいていない。なんだ、この、少女漫画みたいなラブロマンスは・・・! かわいいな、こいつら!(笑)

一方で、ハーロックは、エメラルダスをまったく女として見ていない。これは、原作~78年版~999のハーロックとしては、違和感のないふるまいなのですが、SSXのハーロックはもっと若い、はずなんだけどなぁ。宇宙一の美女(メーテルと同じ顔)を前にして、あまりにも色気がなくって、ちょっと妙な感じです。このふたりは服装も雰囲気もよく似ている美男美女なので、並ぶとものすごくお似合いに見えるから余計に変だ。
もしここで、ハーロックが「わがアル」のマーヤを思い出したりしてくれると、恋人に一途な男ととらえることもできるのですが、SSXはマーヤの存在を消してしまっています。おかげで、「ハーロック、おまえトチローしか見えてないのか?ホモなのか??」と、真顔で問いかけてしまいそうになるので困る(笑)

それは冗談としても、なんとなく、ですがハーロックとエメラルダスのつきあいは、わがアル~SSXの世界においては、かなり長いのではないかと感じさせますね。男であるとか女であるとか以前に、エメラルダスでありハーロックであり、気心の知れた相手である、といったような。

映画「わが青春のアルカディア」で、エメラルダスはハーロックに会ったとき「久しぶりですね」と言葉をかけます。初対面だとストーリーが煩雑になるからすっとばした、のかもしれませんが、実際に、ハーロックとエメラルダスが松本ワールドで最初に顔を合わせたのも、遡ればわりと古い。1975年に少女漫画誌に掲載された「エメラルダス」という短編。このふたりの出会いって、原作ハーロックの連載開始より前なんですね。時代は不明ながら、ライバルのような同志のような、空の海賊でした。

そんなバックボーンをそこはかとなく背負って、幼馴染、とまでは言わないまでも、お互いが恋愛対象から外れてしまう程度には、長いつきあいなのかなー、と想像するとおもしろいですね。
きっと、トチローに出会って恋をして、エメラルダスは変わったことでしょう。そんなエメラルダスを、若いハーロックは理解できないかもしれませんね。やがて、それがありふれた恋であると気づいたならば、微笑ましいようなまぶしいような思いで、親友の恋を見守るのでしょうか。 「でも、あなたも変わりましたよ、ハーロック。よく笑うようになりましたね」と、エメラルダスにそっと微笑まれて、きょとんとするといい。エメラルダスがいちばんお姉さん。






<私が愛したウルトラセブン>
twitterで紹介してもらい、「私が愛したウルトラセブン」というドラマを見ました。
(どういう手段で見たかは、聞かないでほしい。便利な時代になりましたね・・・)
わたしが愛したウルトラセブン

ウルトラセブン制作秘話といった趣の、フィクションを盛り込んだ群像劇でした。
脚本は、実際にウルトラセブンの脚本家(7/49話)でもある市川さん。贅沢だなぁ。
こういった制作秘話っぽいはなし大好きなんですよ。ちょっと古いけどプロジェクトXとか大好きでした。

さて、なぜ、ここで語るかと言うと、このドラマの中でウルトラセブンの脚本家のひとりとして、上原正三さんが出てきます。
この方、78年版ハーロックのメインライターさんでもあるんです。ドラマでは若き仲村トオルが演じる情熱的な青年でした。
えらいイケメンだし、途中で結核患って入院するし、後にハーロックを書くとわかっていなければ、すぐ死にそうな人でハラハラしました(笑)

容姿はもちろん性格だって、実際の上原さんはドラマとは全然違うひとだったとしてもおかしくはないのですが、ハーロックの脚本を見ていると、個性の強いストーリーを書く方、という印象を持ちますね。線の細いきつい顔立ちで意志の強い目をした中村トオルさんの雰囲気は、よく似ていたのかもしれません。

特撮の現場の雰囲気の熱気の生々しさはもちろん、ドラマとしての完成度も高くって、紹介してもらって良かったなぁというドラマでした。こんな良いドラマを作るひとが脚本を担っていたのだから、ウルトラセブンはさぞおもしろかったんでしょうね。機会があれば見てみたいものです。




<ニーアコンサート>

ニーアレプリカント、ニーアゲシュタルト、というゲームが2010年に発売されました。
今年その続編が作られているそうな。

先日、そのゲーム音楽のコンサートがありまして、聴いてきました。
といっても、ネットで視聴する形だったのですが。それでも感極まるものがありましたね。
ニーアコン
NieR Music Concert & Talk Live 滅ビノ シロ 再生ノ クロ
さて、なぜ、ここで語るかと言うと、こっちはハーロックにまったく関係はありません。
素晴らしいコンサートだったので、しゃべってみたかったのです。

音痴なので歌も伴奏も上手に語れないのが口惜しいですが、生で聴いていたら、きっと拍手も忘れるような感動を味わったことでしょう。アニメ音楽も、ゲーム音楽も、作品の物語そのものから切り離して語ることはできません。初めてその物語にふれたあの瞬間の感動を、胸の高鳴りを、あたたかさを、かなしみを、音楽は鮮やかに思い出させてくれます。音楽が一枚のモノクロの線画だとするならば、思い出はそこに色をつける絵具でしょうか。ひとりずつ違う思い出があって、もしかしたら全く違う色で塗ったのかもしれない絵を、何万人か何十万人かが持ち寄って、ひとつの音にひとふしの歌声に感動して共感して・・・・・・・・・あ、ちょっと文章めんどくさくなってきました。うん、すごい楽しかったんです。ライブっていいなあって。それだけです。




<999とザ・トチローとSSXのはなし>

この雑談回は、twitterで呟いたことを適当に拾ってきてるんですが、半月分くらいなのでけっこう色々ネタがありましたね。
またちょっと劇場版999からの話です。

トチローが死んだあと、酒場に直行して機械化人間にミルクをおごる余裕のある劇場版999のハーロックさんって、他の派生作品をなぎ倒してメンタル強いなぁ、と思ったのでした。「互いに笑って果てると決めている」と言わんばかりの明朗さが凄まじい。

でも、999のハーロックさんも映ってないところでは、「つらいなあ・・・」と墓標に語りかけ、「なぜ死んだトチロー!」と慟哭していたのかもしれ・・・いや、どうなんでしょうか。あの映画はキャラクターとしては原作と78年版アニメの中間くらいかなと思っています。


ここでちょっと時系列の整理を。

79年4月 「ザ・トチロー」が週ジャン掲載
(この間くらいにプレイコミックスの宇宙海賊キャプテンハーロックにて墓参り回)
79年8月 映画銀河鉄道999が公開
80年3月 「ザ・トチロー2」が掲載

「ザ・トチロー」は、知る人ぞ知る・・・なのか、リアルタイム世代にとってはよく知られた話なのか、ハーロックとトチローの若い頃の短編です。上記のとおり、原作ハーロックの連載終了の少し手前、劇場版999公開の4か月前に、週刊少年ジャンプに掲載されました。原作ハーロックは秋田書店系列のプレイコミックスに連載していたので、集英社の少年ジャンプに掲載されたのは特別ゲストといった趣でしょうか。週ジャン編集部、松本零士にいくら払ったんだろうな(ニヤニヤ)

で、この二作ですが今のところ、読む手段がほとんどないんですよ。掲載紙が違うので単行本ハーロックに収録されることのなかった外伝なのです。それが2015年になって奇跡的に、チャンピオンREDの付録冊子になっていたようなのですが、そっちだって今じゃもう手に入らない。流通してない。古書で調べたらすごいプレミア価格になってる。読みたくて読みたくて泣いてるから、秋田書店さん電子書籍化するか次元航海のおまけにつけてくださいお願いします・・・!

ハーロック

さて、涙をぬぐいつつ。
映画銀河鉄道999の製作期間を逆算すると、おそらく78年末か79年の初頭くらいに、「原作999はまだ連載中だが、惑星メーテルの秘密を明かしてしまおう」とか「ハーロックとエメラルダスをゲスト出演させよう」というような話を映画に収めるために、松本御大と映画スタッフがシナリオを詰めたんじゃないかと思います。(アニメハーロックの放送が79年の2月まで。映画999は、りんたろう監督・椋尾美術監督・小松原作画監督といったコアメンバーがアニメハーロックとかぶっているので、さすがにこれより前ってことはないだろう・・・と思う)

原作999において未発表のエンディングを劇場版で明かしてしまう、という大胆な演出からも、劇場版999の脚本にかなり深く松本御大が関わっていたのは確かでしょう。トチローの銃と装束を鉄郎が貰い受ける形や、鉄郎がトチローの死を看取りアルカディアへ魂を送るシーンなんかも、ハーロックが未完の状態であそこまで語ってしまうのは、御大の関わりが大きかったからと思います。

ちょっと資料がないので推測の話になりますが、このシナリオ会議は、おそらくザ・トチローの掲載より前でしょう。
79年の5月末に、劇場版999の音楽録りがありました(例の読めない歌詞カードより)。そこに立ち会ったりんたろう監督は、シンフォニーオーケストラの演奏を聴いて、「私の中のモノクロームの映像が次第に色づき出す」と当時の感想を語っています。8月公開なのにまだモノクロームで大丈夫かとツッコミたいが、この話を信じるなら5~6月くらいに動画に彩色をしていたんでしょうか。ということは3~4月くらいに、絵コンテから原画を描きだしていたんじゃないかなー。シナリオはもっと前でしょうから、やっぱり「ザ・トチロー」は、劇場版999のシナリオを練り上げる過程で生まれた副産物であろうと思われます。5~6月に掲載されたと思しき原作の墓参り回も、こうして見ると、映画999のシナリオと「ザ・トチロー」を受けての話とわかります。(やっぱり、鉄郎の前だから悲しみを見せなかっただけで、999のハーロックさんも「トチロー!! なぜ死んだ!!」だったんでしょうか)

999劇中には描かれなかったものの、「デスシャドー艦は、若いハーロックとトチローがアルカディア号建造を夢見て宇宙を旅していた頃の船」という認識が、映画スタッフにも共有されていたんでしょうね。そんな過去に思いを馳せながら、あの映画999のヘビーメルダーのシーンを見ると、なんとも切ないじゃないですか。

たとえるなら、貧乏な若者が家賃を折半して親友と同居していた小汚い四畳半の下宿のような場所、でしょうか。苦労もあったけど楽しい思い出もしこたま詰まっている、懐かしい青春の日々そのものの船。トチローもまた、あのヘビーメルダーの砂漠でひとり、デスシャドウに向かって、「友よ、」と語りかけたのだろうか、と想像するとしんみりしちゃいますね。

ザ・トチローに続いて、翌年3月に週ジャン掲載されたザ・トチロー2もまた、映画999で描けなかったデスシャドウの思い出を補足する話、と捉える事が出来そうです。・・・・・・また、ちょっと読みた過ぎて泣けてきました。


さて、このあと松本御大は「宇宙海賊~」のほうを未完のままに、若いハーロックとトチローを描いていくことに筆を傾けてゆきます。それに対して、りんたろう監督はアダルトハーロックを追いかけて2003年に「外典」を作っちゃう。このふたりの対比もおもしろいですね。

一方で、82年公開の「わが青春のアルカディア」は、ザ・トチローの設定を蹴っ飛ばして、「アルカディア号はトチローがひとりで作った艦!」って言っちゃったりする。この勝間田監督もまた大胆な設定を押し通したものです(笑)

以下はもう完全に思いつきなのですが、わがアルでハーロック達が乗るあの戦艦は、本来デスシャドウだったんじゃないでしょうか。大人の事情でアルカディア号になっただけで。

冒頭で、ハーロックは乗艦であったデスシャドウを、着陸の際にわざと壊します。敵であるイルミダスに接収されるのが避けられないとしても、少なくともすぐに地球への攻撃に使われることのないように、と。想像するに、当初の脚本では、トチローはこの壊れたデスシャドウ艦を修理して、ハーロックと共にトカーガへ向かうはずだったのではないでしょうか。そのままラストバトルも、地球を飛び出すのも、同じデスシャドウ艦。この流れなら、そのまま「ザ・トチロー」に矛盾なく繋がりそうです。
あれだけ細かく宇宙海賊以前のハーロック短編や「クイーンエメラルダス」をひっぱり出してきた脚本・尾中さんが、「ザ・トチロー」を見過ごすはずがない、と思うのです。

しかし、このシナリオだと、グッズ販売でドクロ船首のアルカディア号が売れなくて困る(笑)
だから、「デスシャドウ」であったはずの艦は「アルカディア号」になった、という思いつきでした。まるっきり想像ですよ。



映画は、あれはあれでいいとしても、SSXですよ。別にわがアルの「ひとりで作ったもん」設定を引き継がなくてもよかったんじゃないでしょうか。見れば尾中さんはSSXの脚本に関わってないんだから、映画は映画、アニメはアニメと割り切ってしまえばよかったんですよ。SSXはマーヤじゃなくてアルカディア号の名前を消すべきでした。

SSXでトチローとハーロックが乗っている船がデスシャドウならば、これからアルカディア号を建造するために資金と資材と職人とクルーを集める、という楽しいメインストーリーが生まれ、「ザ・トチロー」だってすんなり汲みこめただろうに……。



年表を眺めるだけで、あれこれ想像がはかどりますね。
たとえリアルタイムのひとにとっては、あたりまえの話でも、断片的だった出来事が繋がる感覚は楽しいものです。
歴史にハマるってこんな感じなんでしょうかねえ。






<次回予告的な>

最後に、たぶん次の記事はこれでいく。


とうとう買っちゃいました、
「ロマンアルバム キャプテンハーロック」
ロマンアルバム30

紹介してくださった水無瀬さまにここで感謝を大きな声で伝えたい。
りんたろう監督のインタビューを教えていただいて、やっぱり買わずにはおれまいとヤフオクに網を投げたりしていました。
比較的よく出回っている雑誌で助かったー。

で、主にこのロマンアルバムに掲載されているスタッフインタビューから、感想やらキャラ語りやらしたいのです。
さいしょはミーメと、ミーメの声の小原さんについて、かな。
早かったら明日くらいに更新しているかもしれませんw

では、今日はここまで。

「松本零士大解剖」を読んで


松本解剖
松本零士大解剖

 「完全保存版」と銘打つだけあって、松本零士作品総覧のおもむき。巻末にも見やすい年表つき。ほとんどのページがカラー刷りで、貴重な原画(昔のって散逸しがちだから)やイラストの掲載も嬉しいところ。なかなかA4サイズで見ることってないので、松本御大の繊細な筆遣いまで見られて眼福でした。睫毛まつげ!
 編者の松本作品へのマニアックな知識と愛情が感じられて、買ってよかったと思える一冊でした。それにしてもA4総カラー130pほどのこの本を1000円で売って採算とれるってすごいな。よく売れるんだろうなぁ。

 しかも、ムック本は2015年の春に「銀河鉄道999大解剖」も出ているんですね。こんな短期間で松本零士関連を押し出してくるなんて。松本作品の熱烈なファンが出版社か編集者にいるな?(笑)

 ところで表紙のハーロック、下まで見える構図だと地に膝をついているという姿勢なのですが、いったいどういうシチュエーションなんでしょうか。袖折り返しててズボンまで黒いからニーベルングの頃なのかな? やや憂いのある上目使いだし、背中から腰へのラインが艶めかしいし……。いや、ほんとにどういうシチュエーションか気になってきた。
膝つきハーロック


〇中身のはなし
 「松本零士 大解剖」なのでアニメーション作品についてはほとんど言及なし。ですが、それで正解と思う密度で松本御大の半世紀の画業をたっぷり綴っています。これでアニメや派生作品まで取り扱ったら収集つかなくなってたことでしょう。

 これは良いと思ったのは最新の御大の作品までしっかりページを裂いてくれていること。私、よく考えたら、「宇宙海賊キャプテンハーロック」以後のハーロック作品についてはあんまり手をつけてなかったようです。なにがハーロック関連の作品なのかわかりづらかったから、というのも理由のひとつだったかもしれません。公式で見やすい目次を作ってくれたのはありがたい。気のせいかもしれませんが、ヤマト・999・ハーロックの記憶が80年代で止まってる古参ファンへ向けて、「松本作品はまだまだ奥行きと広がりを増していってるんだぜ!」という熱弁するような編者のメッセージを感じました。

〇「キャプテンハーロック誕生物語」
 島崎譲先生による薄い本的な。美男美女もたいへん見目麗しいのですが、頭身の低い松本キャラが雰囲気ぴったりでかわいらしいのです。ご本人も根っからの松本作品のファンだと……(え、じゃあ秋田書店はこのひとにリメイクハーロックを描いてもら…ゲフンゲフン)
 個人的には包帯ぐるぐるの古代守の姿に不覚にもときめいてしまいました。傷だらけのハーロックに見えるんですよ。そんなハーロック滅多に見れないから新鮮。
 あとは、「トチローとハーロックの関係は、中学時代の松本少年とその親友がモデル」という話ははじめて知りました。なんて夢がある話だろうかと感動……また回想の男子中学生コンビがめちゃくちゃかわいい!島崎先生、これ不定期でいいから連載しちゃったりしないかなぁ、チャンピオン買うよ……!

〇巻末のおまけめいた
 松本零士作品ヴィンテージグッズを紹介する、といういったい誰得なのかわからないページがあるのですが、欧州グッズのページがひどいw 雑なデザインのグッズが卑怯なくらい笑わせてきます。なんか悲しいことがあったらこのページ開いて笑おう、とそんな使い方もできそう。

 ところが同ページに掲載されている海外における反響についてのコラムは真面目なもの。と、いうかですね、びっくりしたのは、欧州での放映当時、フランスやイタリアで視聴率70%とかいう狂った数字を叩き出したハーロック人気に対して、「ブームを引き起こした理由は諸説あるが、一説には~」云々と、どうやら「なんで流行ったのか作者もいまいちわかっていない様子」なのです。そんな馬鹿な。いや、作者はともかく出版社は徹底的に調査分析して後続アニメ・漫画作品の売り込みに生かさなくってどうする。コラムの書き手は零時社のひとらしいけど、欧州で流行った理由も要因もわからずにグッズ生産してていいのか? ハーロックはたしかにかっこいいキャラだし素晴らしいアニメだったけど、そこまで流行ったからにはそれなりの条件があり社会情勢があったはずでしょうよ。

〇松本メカ
 あと、読み物としておもしろいなと思ったのは、松本作品に登場する戦艦などのデザイン論でした。蒸気機関車の999、アルカディア号の優美な船尾楼、飛行船と帆船を組み合わせたクイーン・エメラルダス号、そしてヤマトやまほろばは第二次大戦下の戦艦をモチーフとしている。それら前時代の現代では既に滅びたデザインをあえて未来の舞台に登場させることで、「復活」「不滅」「懐古」「哀調」といった属性を象徴している、という論。なるほどなー。ハーロックもエメラルダスも沖田艦長も、現代ではすでに古臭いとさえ言える信念や理想のために命を賭けるキャラクターでした。そういう主人公たちの乗る艦としてこれ以上にふさわしいデザインはない。特にアルカディア号やクイーン・エメラルダス号は何度もデザインの変更を経て、今の形に落ち着いた。松本御大にとっても、前時代×近未来の融合デザインは「これしかない」という到達点なのでしょう。
 今まであんまり松本メカについて深く思うことはなかったのですが、こうして世界観やキャラクターと絡めて考えると楽しいですね。


 全体を通して、読みやすさとマニアックな楽しみを両立させて提供しているのは、さすがの三栄書房さん。
 何度でも言いたいのは、40年も前の作品やキャラクターに今さらハマった私のようなファンにとって、こんなふうにリアルタイムで書籍が出版されるのはそれだけでめちゃくちゃ嬉しくありがたい、ということです。まもなくのハーロックの舞台化も、現在進行形の次元航海も。生みの親である松本御大はもちろん、その意思を受け継いでキャラクターを生かし続けてくださるクリエイターさんには感謝しかありません。この一冊は大事に保存させてもらいます。


【雑談回】マセトローションは水虫にも効くらしい

1週間に一回くらいはなんか更新しよう!ということで。
日記めいたことをつらつらと。あいかわらずハーロックのことばかりです。


近況ネタ(1)

〇NHKの育児特集を見ていたら……
 脳科学的に母親の心理を分析する~というような番組の中で、母親の脳と父親の脳は、子どもに対する反応への鋭敏さがそもそも異なる、ただし、「父親も積極的に育児に参加することで、母親にしかない育児回路が脳の中で発達する」という検証結果が。ほほう。その際、分泌されるオキシトシンなるホルモンの影響で「パートナー以外の女性を魅力的に感じなくなる」という効果もあるそうな。結果的に家庭円満が保たれ、子どもの健やかな生存の可能性が上がるわけですね。よくできてるなぁ。

 ちょうど某乙武さんの不倫騒動が三面記事を賑わせている今日この頃、ジャストタイミングだったので番組を見てなくても耳にしたひともいるのでは。この方のツイートの切れ味の良さなどには思わずニヤっとしてしまいましたね。
https://twitter.com/wako3999/status/714073406023409664

 とはいえ、私は真っ先に78年アニメのハーロックさんを思い出さずにはいられなかった(笑) まゆに対する愛情深さはもとより、35~37話における波野静香への冷淡さですよ。ちょっと忘れがたい強烈なエピソードなので紹介するまでもないですが、

キスシーン
ありましたねー。これは、なんというか……率直に照れた///

 松本御大は掲載紙によってはかなり妖艶なベッドシーンも描かれる漫画家さんですが、「宇宙海賊キャプテンハーロック」にはほとんどその手のシーンはない(アニメの方がいろいろとすごかったくらいw)。 元々アニメ用の企画だったと聞くので、子どもに見せにくいシーンは描かないようにしていたのでしょうか。掲載紙はプレイコミックだったのにね。
 また、短編のハーロックも意外と松本美人と絡まない。恋人や妻がいる設定はあれど、ハーロックのベッドシーンってほとんど覚えがない。たいてい「友情」「男のロマン」「少年の憧れ」というポジションの男。御大からすれば「何が楽しくてイケメンのベッドシーンを描かなきゃならんのだ」ってところでしょうか?w

 そういう硬派なハーロックのキャラづけによる新鮮さもあいまって、波野静香をシャワールームで抱き上げるシーンでは、思わず手で顔を覆って指の隙間から覗いちゃうような気分になりました。エロさというのはシチュエーションに起因するところが大きいので、あっけらかんとした世界観ならあけすけなベッドシーンも真顔で見れるけれど、ハーロックの世界観&キャラクターではキスシーンだけでドキドキしてしまったものです……思わせぶりな演出も悪いんだ!w

 それにしても、ほぼ男所帯のアルカディア号で長旅してる独身男性28歳のふるまいとしては、ちょっと不安になるくらい潔癖な反応を見せたハーロックさん。この段階での波野静香は「謎の美女」ではあるにしても、マゾーンとの関わりは明るみになる前でした。(あ、ミーメの警告があったか。この回はミーメとハーロックの夫婦っぷりも見どころ) 謎めいた美女は松本ワールドにおいて決して悪い存在ではありません。女というものは企みがあろうとなかろうと、男からすればどこかしら謎を秘めているもの。そしてその理解しきれない部分が美女をいっそう魅力的に見せる、というようなセオリーが松本ワールドにはままあります。騙されてえらい目に合うこともありますが、だからといってその経験から学んで、美女に対して疑い深くなるような男は松本ワールドにはいない。

 大山一族なら暗転して次のシーンは自室のベッドルームであろうというあの状況で、首に絡んだ女の腕をふりほどき(嫌悪感か戸惑いさえ表情にして)問答無用で波野静香を医務室に放り込むハーロックは……まぁ、かっこいいんだけれど。女性の誘いを拒む潔癖さは性的な未熟さと紙一重です。ルパンやコブラなら喜ぶでしょう? 堅苦しい倫理観に縛られない無法者は、美女に誘われたら乗ればいいのですよ。松本ワールドにおいて性行と種の繁栄は礼賛されています。なのに、「なぜああまで迷いなく誘惑をしりぞけるハーロックを、アニメスタッフは描いたのか?」という疑問。その答えが、転がり込んできたような気がしました。NHKの育児特集見てたら(笑)
 1978年アニメのハーロックの基本スタンスは徹底的に「父親」だったんですね。愛する幼い娘がいて、守るべき家族がいる男。りんたろう監督いわく精神年齢は40歳前後。なるほど、そういう前提なら、若い美女に魅力を感じないのは、脳科学的にも納得できる態度になります。まゆ及びクルーに対する偉大な父性と女性関係のストイックさはセットなんですね。

…………。

(おい、78年版ハーロックよ……そんなんでちゃんと子孫を残せるのか……?)



近況ネタ(その2)

すごいな舞台化きた!!
     ↓
舞台「キャプテンハーロック〜次元航海〜」
2016年6月8日(水)~6月12日(日) 全9公演

 私自身はド田舎に住んでいるもので、東京まで行くかどうかちょっと悩ましいところなのですが、応援したい気持ちはありますよ! リアルタイムからウン十年もあとにハマったファンとしては、どんな形であれ公式が賑わっているのは嬉しいものです。
 次元航海は海外展開含めたアニメ化を見据えているのでは?という噂もありますしね。ヤングブラックジャックからの二匹目のドジョウでしょうか秋田書店さん。どんどん狙っていってほしい。近年のヤングハーロックと言えばコスモウォーリアー零やガンフロンティアのアニメ化でしょうか。コス零の外伝のハーロックの扱いは大好きですね。四畳半で裸足でトチローとしゃべってはニコニコ笑ってたかと思うと、ふっと表情を改めて「なんだか痒いな……まさかおまえのナニがうつったんじゃないだろうな?」「ダイジョーブだ。よく効く薬がある」ですもの。笑い倒しました。
マセトローション
うん、インキンタムシネタは今後のヤングハーロックでもぜひ活用して欲しい(笑)

 松本漫画にはハーロックやヤマトを筆頭とする抒情的なSF世界と、男おいどんのような四畳半世界がある、とよく言われます。あと戦場モノでしょうか)ガラリと趣の違う世界ではあれど、やはり松本御大から生まれた世界。ハーロックが小汚い四畳半に座っていても、傍らにトチローがいればけっこうしっくりきちゃうんですね。かっこいいハーロックにかけてはりんたろう監督をしのぐのは不可能と言っていい領域なので、四畳半系ハーロックが充実していけば嬉しいなぁと思ったりする今日この頃です。

 思ったより大幅に舞台から話題がそれたなー!それたついでに、私は銀河鉄道999を宝塚歌劇で見たいとつけ加えてきたい。この世ならぬメーテルの美しさを、華麗なエメラルダスの活躍を、リューズさんの幽玄な歌声を、三次元の世界に持って来れるのは宝塚だけだと思う!


近況ネタ(その3)

 ヤマトのリメイクアニメシリーズ、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の製作が発表されました!FF15とかもあって年度末にバタバタと発表が重なりましたねー。実は私が知っている唯一のヤマトはリメイクの2199なんですよ。丁寧にアニメ化されていて、おもしろく見させてもらったので続編は楽しみです。

 で、シリーズ構成・脚本があの福井晴敏氏ということ。いま改めて調べたのですが、この福井さんは「亡国のイージス」「終戦のローレライ」「戦国自衛隊1954」など錚々たる映画の原作小説家であり、またガンダムのノベライズも手掛けていらっしゃるそうですね。自他ともに認める冨野監督ファンであるとか。なるほど、宇宙戦艦ヤマトとは相性が良さそうなラインナップですが、前述の映画もガンダムもちゃんと見ていないので評価は詳しい方にゆだねましょう。

 しかし、ここはハーロックのブログなので、福井晴敏と言えばやっぱりリブート映画ハーロックの脚本家として見てしまう。これもまた素人考えなのですが、このラインナップを見ると、やっぱこのひとハーロックが好きじゃなかったんだろうなぁ(笑) 特に原作ハーロックや原作999のような、他者にとらわれず己の信念のためだけに戦い、個人の力で惑星のひとつふたつは滅ぼせそうな、動く台風の目かブラックホールかという絶対強者ハーロックはダメだったんでしょうね。福井さんに脚本を頼むのなら、東映はわが青春のアルカディアのリメイクをやるべきでした。傑作になったかもしれません。


近況ネタ(その4)

アニソンヒストリージャパンという、声優さんやアニソン歌手さんたちが懐メロから最新までアニソンを歌いまくるお祭りがあったそうで、水木一郎さんがハーロックも歌われたらしいです!
松本御大もですが、水木さんもとにかくパワフルですよねぇ。

水木さんの姿が見れるかどうかわかりませんが、またBSプレミアムで放送があるそうな。
☆5/ 1(日) 15:00〜17:09
(って公式HPに書いてあったけど、ほんとに4月じゃなくて5月なのかい……?)


近況ネタ(その5)

松 本 零 士 大 解 剖
松本解剖

まさか…まさか、2016年にもなってこんな本を手に取れるなんて……(涙)
今までハーロック関係も松本御大の漫画もムック本も、みんな古本しかなかったんですよ。あたりまえですよね、30年以上前の書籍ばかりなんだから……。リアルタイムで新刊を手に取ることができるなんて望外のことでした。中身についてはまた別個で記事書きます……書きたい。





だいたいそんな一週間。
個人的出来事としては、前回の考察記事にコメントをいただけたのが何より嬉しかったですね!
やっぱり誰かに読んでもらえるとわかると気合がちがう(((o(*゚▽゚*)o)))

アニメのキャプテンハーロックを語りたい


1978年3月14日
今から38年と少し前の日。
アニメ 「宇宙海賊キャプテンハーロック」の第一話の放送がはじまりました。
全42話。放送終了日は一年後の79年2月13日。

 70年代後半のアニメラインナップをつらつら眺めると、おなじみの世界名作劇場、宮崎監督の未来少年コナン、少女漫画ならベルサイユのばら、ちょっと手前に宇宙戦艦ヤマト…と、私でさえ聞いたことのあるタイトルも多い。アニメがまだ子どものもの、せいぜいティーンエイジャーのものであった時代…ハーロックって主人公としては年長の部類だったんでしょうね。

 内容も子ども向けの宇宙モノとあなどってはとんでもない、青少年の心に残るものでありながら、大人になってから見てこそ堪能できる、ほんとうの名作だと思います。さすがに古いなぁと思う場面もあるけれど、なおそれを凌駕してストーリーがキャラクターが音楽が魅力的。アラフィフのリアルタイム世代ももう一回見たらいいのになぁ。子どもの頃とはかなり味わいが変わるはず。

 ハマった勢いであれこれ派生作品も見たり読んだりしたあたりで、すこし78年版アニメについて考察やら萌え語りやらしたくなりました。主にラスト2話を中心に……ってことなので、思いっきりエンディングネタバレです。未見の方はお気をつけください。


~道標~
1.ラフレシア様の血は何色?
2.キャプテン・ハーロックは地球を愛したか?
3.中枢大コンピューターはワインがお好き?


こんな道のり。
ゆっくりと歩くようなペースでおつきあいくださいませ。





― 余話 ―
 ハーロックにハマり倒して、78年版アニメ→原作漫画→わが青春のアルカディア(映画)→松本零士SF短編→ガンフロンティア→キャプテンハーロック(リブート映画)→コスモウォーリアー零→ SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK(OVA)・・・などハーロック巡礼の途上ですが、まだSSXもニーベルングも次元航海も1000年女王も残っているし、松本作品のもうひとつの雄たる宇宙戦艦ヤーマートー♪も抑えときたいし、四畳半や男おいどんもやっぱり読みたくなってきて、戦場まんがシリーズもあれは独特の味わいがあるよなぁ・・・などと眺めれば道のりの遥か果てしなさに目もくらむばかり。でも記憶が新しいうちにハーロックの考察を書きたくなってしまったからしかたないね。この記事が終わったら、まずはSSXを見るんだ……。






1.ラフレシア様の血は何色?

 最終決戦にて、ハーロックはラフレシアの胸から流れる“赤い血”を見て、剣を収めた。
 マゾーンの血は本来青いはず。では、ラフレシアの血だけ、なぜ……?

 ネットで調べられる限り、今日に至るまでオフィシャルの回答は出ていない。ただ、ラフレシアの声を担当した北浜晴子さんは、雑誌のインタビュー記事の中で「ハーロックにそう見えたのではないか」と解釈してる。

ロマンアルバム30

 つまり、ラフレシアも他のマゾーンと血の色は同じだが、ハーロックにはそれが“赤い血”に見えた……見えた、というか、ハーロックがラフレシアに対して感じた心のあり様を映像にあらわすなら、“赤い血”が流れているという映像表現がふさわしい、と作り手が考えた、ということなのでしょうね。

 では、なぜ“赤い血”なのか?そして、“赤い血”によって、なぜハーロックは剣を収め、マゾーンに撤退を促すことになったのか。そして、また女王ラフレシアは、なぜハーロックの言葉に従ったのか?

 アニメ19話で女王の台詞によって暗示され、地球上の古代文明の遺跡に痕跡が残され、このラストバトルにおいてはとうとうナレーションで語られた事が、そのまま答えでいいでしょう。「遠い昔、地球に科学文明を伝えたのはマゾーンであった」ということが。


―余話―
 原作ハーロックにおいては、さらに一歩進んで、地球人類そのものさえマゾーンによって作られた種族、と示唆されているのでこっちはもっとストレート。マゾーンと地球人類に創造主・被造物という繋がりがあるとすれば、同じ血の色に見えても一向にかまわない。でも、アニメ内ではそこまで描写されていない……と、思う。


 「人間が人間たるに値するすべてを与えた存在と相対している」とちょっと考えてみて欲しい。今、己の右手にある重力サーベルも、親友の形見であるアルカディア号という宇宙艦も、言葉も文字も、人類文明の歴史のすべての祖先たる種族が、その美しい顔に決死の覚悟を浮かべて目の前に立っている。人類にとってその存在は師にも親にもあたると言っていい。たとえ、マゾーンにとって地球人類が「蒔いた種」に過ぎないとしても……。

 マゾーンの女王に剣をつきつけたとき、ハーロックは今まさに自分が手にかけんとしているのが「何者」なのか、理屈を超えたところで察したのではないでしょうか。種は異なったとしても、血の繋がりがなくとも、太古のマゾーンの手から人間の祖先へ、祖先から次の世代の子らへ、そうして連綿と受け継がれてきた文明と記憶が、たしかに自分の中にも流れいてる、と。マゾーンが「心ある敵」だと感じるのは、その「心」さえ、マゾーンから受け継いだものだからではないか? そうでなければどうして、異なる星の異なる生物であるマゾーンと人間が、互いを理解することができるものか。そのときハーロックは、思わず重力サーベルを剣礼の形にかまえてしまうほどに、「母なる者への敬意」に打たれた。そんな心情を映像にあらわすならば、“赤い血”になった、と。

 一方で、女王ラフレシアもまた、かつて情けをかけた男に逆さまに情けをかけられたときに、気づいたのではないでしょうか。「自ら蒔いた種」に過ぎないとあなどっていた地球人類が、いつのまにかマゾーンと対等に向き合う存在になっているということを。あたかも、子の成長に眼をみはる母のように。
 ラフレシアさまは地球へ哀惜の眼差しを送りながら、彼女の民を連れて去ることを受け入れます。マゾーンにとって「もうひとつの故郷」である地球を人類の、ハーロックの手にゆだねて。
地球をみつめる

 たぶんこういう流れだったのだと……思うんですが。
 原作において「涙を流して命乞いをする敵」さえ必要とあらば撃てる男だと語られたハーロックが、同情や色恋のためにラフレシアさまを生かしたりはしないでしょう。41話もかけて戦ってきた相手なんだから。憐みではなく敬意でもって、ハーロックは剣を引き背を向けた。そう、とらえるほうが納得ができるというもの。

 仮に設定上のものとしてラフレシアの血が赤いのなら、その色をハーロックに見られたことに対してラフレシアは当然なんらかのリアクションしなければならない。怒るとか恥じらうとかね。イザナギに姿を見られた死せるイザナミくらい激昂して追いかけてきてもいいくらい。ハーロックも黄泉平坂で桃投げていいくらい。けれど、北浜さんがこういう解釈をするからには、脚本上に“赤い血”に対しての特別な演技の指定も注釈もなかったのでしょう。つまり、このときのラフレシアさま本人は、なぜハーロックが剣を引いたのか本当にわからなかった、と推測する。
 これ、ハーロック役の井上真樹夫さんなら真相を知ってるんだろうなぁ……でも、井上さんもりんたろう監督も脚本の上原さんも“赤い血”について語らない。なにもかも語り尽くしてしまうと物語の世界を狭めてしまう、謎を残しておいたほうが心に残る、そんなところもあるのでしょう。実際、38年前のアニメに対して私がこんな雑文を書いているのだって、大きな掌の上でコロコロされているがゆえなのですから・・・。


 「いやいや、本当はこういうオチだよ」とか「監督はこう言ってたよ」とかあったら、私が恥ずかしさで死ぬ前に教えてください。なんせ1978年のアニメ作品なのですから、このくらいのこと何十年も前に語りつくされてるにちがいないって思うもの……。



 さてさて。せっかくなので、ラフレシアさま語りましょう。
 威厳と誇りと美しさをかねそなえ、冷酷な専制君主たらんとしながら心を捨てきれないラフレシアさま、大好きなのです。

 ふりかえれば原作漫画5巻、アニメではおよそ1年かけて命がけで相争ってきたハーロックとラフレシアの決着が、「互いに剣を収める」ところへ落とし込めるなんて思ってもみませんでした。ヤマトも999もラスボスをうち滅ぼして(あ、いやデスラーは死なないのか……)ハッピーエンドだったというのに、最も敵対者に容赦なさそうな宇宙海賊だけが、相互理解と和解を成し遂げたのはなんて皮肉でしょうか。

 物語の後半に至って「大義はむしろ敵にあるのでは?」と思わせるほどに丁寧に内情を描かれたマゾーンは、ただ美しいだけでない魅力的な敵になってゆきました。幾度もの戦いの中で次第に互いを理解してゆくハーロックとラフレシアの間には、繊細な愛情すら感じられたほど。また声優さんの言葉になっちゃいますが、北浜さんはハーロックに対するラフレシアの感情を語るにあたって「愛してはいけない相手を愛してしまったような」ところがあるとおっしゃっていたそうです。種族の命運のためにハーロックを殺さんとするマゾーン兵も、愛するハーロックの手で死ぬことを望んだ波野静香も、ひとしくラフレシアさまの心のひとかけらであったのだと、そんなふうに思われてなりません。


― 余話 ―
 で、ちょっと品の無い話もしていい?
 女王旗艦ってドクラスって名前なんですが、これは「ダイバー0」の金星の滅びた都市に残るロボットの女王の名から取られている。(金星は昔マゾーンの前線基地があったとかでマゾーンとは縁深い星なのかも) で、その金星の女王♀(←惑星の記号)にアルカディア号がラム突♂でつっこんでくるシーン、もしかして、トンデモナイ画面なんじゃないか?(笑) ご家族団らんで見るには気まずいくらい露出のあるこのアニメの中で、正直いちばんエロい回だと思いました。
 そりゃあ、ラフレシアさまの服も破けるさ…。「帰らざる時の物語」なら間違いなく濡れ場だったんだろうなぁ……。
ラム突








2.ハーロックは地球を愛したか?


 あらためて言うことでもないですが、まずキャラクターをなぞると……。
 キャプテンハーロックは「愛する地球を命をかけて守る」なんて素直なキャラでは、ない。

 「だらけきった人間どもに絶望し、故郷を捨てた男だ」(41話)と自らを語るくらいだし、また地球政府も地球政府で生死を問わない指名手配をハーロックにかけて第一話では公開処刑から始めちゃうような殺伐とした間柄である。 だが、そうでありながら、宇宙から侵略してくるマゾーン部隊に対して、地球を守って戦うのはアルカディア号だけだというのがこのアニメ。ハーロックが戦うのは、あくまで親友のため、親友の娘であるまゆのため。自身の愛国心のためではない、というちょっとめんどくs……複雑なキャラクターです。

原作ハーロック
 原作ハーロックはアニメよりもっとストレートに地球の人間へ憤りを口にする。

 アニメにおいても第一話から、食糧だけを収奪し、宝石と酒を捨てる姿によって、虚飾と飽食を厭うハーロックの人となりが描かれていました。台羽博士やクスコ教授ら先見性のある人間達の口からは、危機意識を持たない人間への軽蔑が繰り返し語られます。「こんな人類などいっそ滅びてしまった方がいいのかもしれない」という彼らの言葉は、ハーロックの心情を代弁するものでした。


― 余話 ―
アニメ第一話、散文的なシーンが続くので初見では理解できない部分も多い。が、全部見終わってから見返すとこのアニメのエッセンスが凝縮した堪らない一話なんですよね。オカリナの音色、さすらいの舟歌のおどろおどろしさ、少女と無法者のちいさいが暖かみあるふれあいと色濃いかなしみ、血のような赤い夕焼け空をやって来るアルカディア号……なにもかもが印象的な回でした。ハーロックの台詞がきわめて少ないのに、そのひととなりが鮮烈に伝わってきたものです。


 ところが、アニメ後半にさしかかると、これが変わってくる。
 女王ラフレシアの宣戦布告(26話)をきっかけに、ハーロックはまゆの未来を通して地球の未来を守りたいと自覚し、「奪うのではない、守るのだ」と宣言した、ここがひとつめの転機。さらに、ラフレシアとの決戦を経た42話に至っては、ハーロックは中枢大コンピューター室に乗員一同を集めて、アルカディア号の「解散」を伝えました。

「だらけ切った地球を立てなおすには、おまえたちの若い力と才能が必要だ。今のままでは地球は自滅する」
そう、言って。

 これにはクルーも驚きますが、「奪うのではない、守るのだ」ってワンクッション置かれたはずの視聴者でさえハーロックの言葉は意外なものに聞こえたのでは。「守る」と「立てなおす」は、地球の未来のための行動である点でこそ同じように聞こえますが、「立てなおす」ためには地球社会へ変革をうながすことになり、急進的な変革とは、すなわち旧社会の破壊と新社会の建設です。見据える先こそ同じでも、結果的に行動は正反対となる。

 地球に対するハーロックの意識の、この決定的な転機は、やはりラフレシアとの決戦があったからこそでしょう。マゾーンの中に人類にとっての「母なる者」を見い出し、ラフレシアに流れる“赤い血”を目にしたハーロックは、人類の歴史の先端に自分自身も立っているという視座に至り、滅びるがままにしておくことができなくなった……と言うと、大げさに過ぎるでしょうか。 では、ペナントに刻み込まれた「地球はマゾーンの第二の故郷」という字句が、少なくともマゾーンにとってそれが真実であると、そう、共感し得るほどラフレシアを近しい者だと感じたハーロックにとって、地球は「守った」というよりも、むしろ「譲り受けた」という感覚さえ生まれたのかもしれません。いずれにしろ、ハーロックにとって、地球はもはや「他者」ではなくなった。

 そうでなくて、どうしてハーロックがクルーを地球に帰そうとするでしょうか。地球のために生きろと言うでしょうか。
 アルカディア号は信念を同じくする仲間を迎えに来る艦であり、ハーロックは自由へと誘う男であったのに。

 ハーロックは変わりました。
 「地球人類全部が地球を嫌いだといっても俺は地球が好きだ」「今のためではなく、遠い未来のために地球を守りたい」(原作2巻)と語った亡き親友・トチローの意志もまた、今ではハーロックのものとなりました。物語前半において、「愛」と「憎」として相反すると見えた両者の地球に対する感情は統合され、止揚された先に41~42話の新しいハーロックが立ち上がりました。

 友の遺志ではなく、まゆのためでもなく、ハーロック自身の意志で、おそらく、彼はこのとき初めて地球を愛したのです。



 そして最終話。空襲は地球潜伏マゾーンの仕業として間接的に表現されましたけど、あれはハーロックがやったに等しい破壊ですよね。まゆと子供たち(=地球の未来)以外は助けようともしませんでした。地球連邦の首相官邸があっておそらく政治の中心であったろうあの都市は、ペナントの爆破前より爆破後の方が確実に焼け野原と化してました。古い地球を滅ぼすのはハーロックの望みでもあったのです。だからラフレシアは中途半端な暗示しかせず、ハーロックもまた、彼が防げたかもしれない滅亡を看過したことについてなんらの罪悪感も見せない。方舟から大洪水を見下ろすノアのような心境でしょうか。

 前半のハーロックは、地球を憎みながら守らねばならない、という葛藤が少なからずあったのでしょうが、トチローの意志との統合が成し遂げられた後のハーロックは、地球の未来それ以外はどうなろうとかまわない、という超然たる心境に至りました。かつて、地球に衝突しようとするペナントを止めることができないとわかった時、目をそらし「地球を守る約束をしたのに…」と心に痛みを感じた男はもういない。考えようによってはおそろしいひとですね。滅びゆく文明の断末魔の絶叫を耳にしながら、未来の象徴たる子供たちに、父親の顔であたたかく微笑みかける男になったのです。




― 余話 ―
 比較神話学(世界各地の神話や伝承・物語を比較し、共通する普遍的なテーマと性質を見いだす学問)において、「英雄の旅」と呼ばれる原型がある。日本人にとって身近なのだと、ドラゴンクエストとかスター・ウォーズとかがよく挙げられますね。劇場版銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトもみごとにあてはまると思います。英雄、勇者、救世主、主人公は、地域・文化が変わろうと時代が変わろうと、よく似た旅路をたどって世界や故郷や自分の家を救うよね、というもの。それらは歴史的事実に基づく以上に、普遍的な人間の成長の物語である。だから、英雄譚の筋書きを持つ物語は、文化を超えて多くのひとの心に響く、と。そういう仕組みらしい。

 ハーロックとアルカディア号の旅路は、神話的なまでに「英雄の旅」でした。
 故郷を旅立ち、困難に逢い、美女・波野静香の誘惑をしりぞけ、女王旗艦という異界(ex.子宮・冥界・竜宮城)に降りて行って仮死を経て、母にして女神たる女王ラフレシアと出会いその真の姿を理解して聖なる婚姻を結び、ナイフ(=ラム)で切り裂いて異界から抜け出し(ex.7匹の仔山羊・赤ずきん)、完成された英雄として再誕する。そして故郷に帰還し、無理解で傲慢な旧支配者と古い世界に破滅をもたらし、新しい世界の創造者となる。
 けれど、新世界の統治者にならずに次世代に託して自分は旅立つ、それだけを貫いたのは自由を愛する無法者らしい姿でした。ハーロックの高潔さ、愛する者達にさえ囚われぬ魂の清らかさ、それらあってこその宇宙海賊です。使い古された英雄譚にとどまらない透明な寂寥感を残す物語に仕上げ、ひとりの男を永遠なる理想にまで高めた、このアニメの作り手のハーロックへの入れ込みようったらないですね。大好きなエンディングなので、遠慮なくベタ褒めますよ!(´∀`)






3、中枢大コンピューターはワインがお好き?

 さて、ここまでずっとラフレシアさまの中の人・北浜さんのコメントを根拠に“赤い血”を語ってきましたが、外部の雑誌のインタビュー記事読まなきゃ理解でけへんオチってどやねん、というツッコミもあろうかと思います。“赤い血”を導く要素がアニメ内にないのに推測しろというのはいくらなんでも難解すぎるのでは……と。でも、全くないわけじゃあなかった、ようなのです。

最終回42話ラストのこのシーン。
ワイン

 奇妙にファンタジックなシーンだと思いませんでしたか?
 魂にせよ中枢コンピューターにせよ、そんなものがグラスから酒を飲むなんて、って。その飲んだワインどこ行ったんだろう……とか。ここでは、実際にワインが減ったわけではなく、「友と祝杯をあげたい」というハーロックの心情をあらわした映像なのだと解釈すべきシーンでした。そう気づいて、他にもハーロックの目を通したシーンがあったのではないか、とふりかえれば……明確な答えが提示されないままの“赤い血”に辿りつく。そのための「タネアカシ」として、この演出があったのでしょう。
 最終回の演出はチーフディレクターたるりんたろう氏の手によるものなので、こんなふうに世界観から浮いたシーンを雰囲気で挿入することはありえない。(タブンネ)


― 余話 ―
 とは言えですよ。
 一年間、42話もの話数をかけて、アルカディア号と共に旅をしてきた視聴者の心は、もうほとんど43人目の乗組員に等しい。キャプテンが白と言えば黒いカラスだって白いんです。麗しの小松原作画で、井上真樹夫ボイスでしみじみと「しかし、よくやったな…よく勝てた」なんて言われたら、たいていの違和感などふっとんでしまう。りんたろう監督が思うよりも、視聴者の頭の中はファンタジーだったんです。だから、38年経った今でも、「ラフレシアの血が赤いってことは……マゾーンじゃなく人間だったってことか!」なんて展開をありのまま受け入れてしまう人がいたっておかしくない。ハーロックのかっこよさはそのくらい問答無用のものです。私だってとんでもない誤解を今まさに書いているかもしれないけど、ゆるせ。愛ゆえだ。



 そんなわけで、“赤い血”が比喩的な映像表現であるという点は、もうだいたい納得して、安心してもらえたかと思います。


……ん?

…………んんー?

………………ちょっと待て、と。


あれ、これ、まだ安心できないんじゃないか……?



 このワインを飲むシーンが仕込まれた「タネアカシ」だとするならば、ラフレシアさまの“赤い血”の他に、まだもうひとつ。この物語において最初から最後までハーロックの主観でしか描かれなかった物事に、私たちは向き合うことになってしまいます。

そう、それは、



トチローの魂の存在 です。


 アルカディア号の中枢コンピューターには、我が友・トチローの魂が宿っている、と……もう、ほとんど疑いもせずにそう思ってはいませんか? 操舵者なしにひとりでに動いたりしちゃう艦ですけどね。でも……1978年のアニメキャプテンハーロックにおいて、アルカディア号を動かしていたのは、ほんとうに大山トチローの心だったのでしょうか?

 ハーロックがアルカディア号と語らう時、ハーロック以外の人間が中枢コンピューター室にいたことが何度あったでしょうか? どうして「わが友」の声はハーロックにしか聞こえないのでしょうか? 機械だからしゃべらいない? いいえ、自律思考してしゃべるロボット(アナライザーみたいなやつ)がアルカディア号に乗っている、という世界観をこのアニメは提示しています。また、なぜ娘のまゆにまで父の存在を明かさないままでいたのでしょうか? 「38話で明かしてるじゃないか」ではないんです。7~8年間ずっと隠してきて、今生の別れが迫るまで伝えなかったんです。いままでいくらでも、トチローの存在を伝える機会はあったはずなのに。また、もし、そこに本当にトチローの魂や心が宿っているのなら、どうしてハーロックに危機が迫るか、さもなくばハーロックに委ねられた時しか、ひとりでに動かないのでしょうか? まるで、ハーロックの意識を汲み取って動き出しているかのように……。



 ふっふふふ……ちょっぴり背筋が冷たくなったりしました?
 怪談をしたいわけじゃあないので、言ってしまうと、78年アニメのアルカディア号には、わが友・トチローが宿っている、はずです。まとめるとこんな感じ。(クリックで大きく)
トチローの魂

 まず、確実に「いる」のは銀河鉄道999シリーズとSSXですね。これらでは、トチローは死ぬ前に魂の転送装置を開発し、アルカディア号に自分の魂を宿した、と明確に描かれていました。魂を宿した中枢コンピューターは、ハーロックだけでなく他のクルーやエメラルダスにも話しかけるようになります。

 また、原作漫画においては自ら名乗ることこそないものの、アルカディア号は時々しゃべり、急にクルーに指示を出し(4巻)、その思念派はトチローのものとして描かれます。 ただ、原作において死に際の描写はないので、仕組みは不明。ハーロックいわく「偉大な艦だよ……このアルカディア号は……」、ミーメいわく「イツカ話シテクレルデショウ」のまま、連載が終わってしまいました。
思念波トチロー
(3巻より。画像粗くなってしまって申し訳ない。「俺の娘は元気か? そうか、背が10センチも伸びてたのか!! それはよかった。しかし、ただなあ、地球の空気を吸いたいなあ!!ラーメンも食いたいよ」と、42人目の思念波はしゃべっている)

 で、いよいよ78年版のアニメはどうだっけ?というと、原作においてトチローが「いる」とわかるこのような描写は、アニメ版ではこっそり削られ変更されています。(4巻の半ばくらいまでは原作に沿ってアニメが作られているんだけど)
 また、漫画原作においては、あるいはハーロック以上に中枢コンピューターのことを理解している風なミーメも、アニメでは実にひかえめです。アニメにおいて、アルカディア号に宿る「我が友」と意志疎通ができている人間はハーロック以外にいません。

 「ん?銀河子守唄では、中枢コンピューターがまゆのために歌ってたでしょ?」と思い出されますが、ここで唄を聞いたのはハーロックとまゆのふたりだけ。そんなまゆでさえ、後の回で再び中枢コンピューター室に連れて来られた時には、「機械だらけの変な部屋……なぁにこれ?」と、以前に訪れたときのことを覚えていない様子。ハーロックに言われるまで、中枢コンピューターを父だとは認識できないのです。「おまえの父だ」という言葉を聞いてから、やっとまゆにも子守唄のメロディが聞こえるようになりますが、このとき歌声は聞こえないままでした。極度の恐怖と緊張による常ならぬ精神状態であったからこそ、一度だけ聞こえた父の「子守唄」とも見える描かれ方です。

 ついでに、トチローの死の経緯は78年版アニメでも語られているのですが……トチローのキャラが定まってなかったり、版権の関係でエメラルダスがエメラーダになっちゃってたり、あんまり出来がよろしくない。かいつまんで言うと、78年版アニメでのトチローの死に場所は宇宙です。完成したばかりのアルカディア号の中で、エメラルダスの膝の上で、ハーロックとクルーに看取られて、遺体は宇宙葬の形で葬られました。ここで、トチローの魂がアルカディアに宿るようなSF的説明はないのです。
トチローの死

「え?ヘビーメルダーは?デスシャドーは?」って思ったひと、鋭い。そうなんですよ、死のシーンでは出てこない。これは、たぶん原作漫画でトチローの墓が出てくる(79年)前に、アニメ化(78年)されちゃったからですね。なので、その後のハーロック派生作品では丸ごとなかったことになるアニメオリジナルの回想エピソードです。でも、この回想のコミカルなノリは、後のSSXに受け継がれてる気がする・・・(笑)


― 余話 ―
 ちなみに、アニメのエメラーダ(エメラルダス)はトチローの遺体を追いかけて宇宙に彷徨い出てゆきました。幼いまゆをハーロックに残して……。いくらアニオリとはいえとんでもねー設定だなぁ(笑)
 トチローの墓標の享年を信じるなら、ほとんど乳飲み子のまゆを託されて、7~8年は親代わりをしていたことになるアニメ版ハーロック。生前のトチローを知るクルーが今のアルカディア号にひとりもいないのは、キャプテンが何年か育休とって海賊をやめていたからかもしれませんね。78年版アニメのハーロックはぶっちゃけロリコンなのかなー?って思ってた頃もありましたが、違った。ここまで来れば立派な育メン(おとうさん)です。そりゃあ父性もありあまるわけだよ……。


 ついつい話がそれましたが、かくのごとく作品ごとにトチローの存在感や死の経緯が異なるわけです。その中で、原作や他の作品と比べると、78年アニメ版は、中枢コンピューターと語り合う描写は多くあるのに、むしろ存在感を希薄にさせているんじゃないかと思えるフシがある。とはいっても、ストーリーの前半は原作をなぞっていますし、「なぜアルカディア号がひとりでに動いたり唸ったりするのか?」という疑問に対して、「設計者である親友の心が宿っているのかもね」という他に作中で説明はされなかったので、やっぱりトチローは「いる」という世界観なのでしょう。

 それに対して、明確に「いない」とわかるのが2003年に作られた「(OVA)SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK」です。作中でハーロックはアルカディア号に対して変わらずに「我が友」と呼びかけ、乗組員の操作なしにアルカディア号がひとりでに動いたり鳴いたりするのですが、ストーリー上の辻褄を考えると、どうやら「いない」のです。少なくともトチローではない。(見た方はわかると思うのですが、何らかの形でトチローと意志疎通が計れるなら、ああいうストーリーにはならない)

 ここで肝心なのは、「アニメ キャプテンハーロック(78’)」「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」「(OVA)SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK(03’)」これら、全てりんたろう監督作品である、ということです。SSXのことはいったん忘れましょう。

トチローの魂〇

 同じりんたろう監督のハーロックでありながら、どうして一方ではトチローの魂の転送装置を描き、富山ヴォイスでしゃべるアルカディア号(短いシーンだけど大好きです!)を見せてくれながら、他方ではトチローの魂の不在をほのめかすのか?

 原作との関わり度合や、スタッフの違い、また時代の変遷によって、りんたろう監督のハーロック像の変化などがあったのかもしれません。しかし、一貫して同じテーマを語っているからではないかと、そんなふうに読み取ることもできそうです。作品によって、ただ、描き方が異なるだけで。
 999では子どもへ向けたおとぎ話として、「ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」と語り、78年版のアニメハーロックではもう少し大人向けの叙事詩的な語り口を選んだ。そして「SPACE PIRATE~」ではさらに形而上学な領域に突っこんでいった、と。

 では、そのテーマとは。

親しい人間に先立たれ残された者の普遍的な悲劇、そして、人間の生き方の最も崇高な理想、とでも言いましょうか。
(壮大な話になっちゃったなぁ・・・)

 死とは、永遠の別れです。いつどんな世の中でも、どれほど大切な家族でも、恋人でも、たとえ魂で繋がった親友でも。人は、その別れのつらさに耐えて生きなければならない、いや、耐える術を持っているはずだ。
 たとえ物理的な存在として消滅しようとも、親友の思い出も理想もアルカディア号も、ハーロックが生きている限り彼の人生の中で意味を失うことはない。そしてまた、ハーロック自身がいつか死ぬ日が来たとしても、同じように生き続ける誰かの人生の中においてハーロックが死ぬことはない。悲しみを忘れることはできなくとも、死がすべてを奪うものではないと知るならば、残された者は生きてゆくことができる。

 そういう死生観を、もし幼い子どもに伝えなければならないとしたら、いったいどんな言葉を選ぶでしょうか? 死んでしまった人間の精神が、生きている者に寄り添い、人生という旅路が終わるその日まで共に在りつづけるということを、魂や心という言葉を使って表すのは、果たして「嘘」でしょうか。それが「嘘」であると同時に、祈りのような「真実」であるのだと、その子ども自身が気づくまで、大人は繰り返し「嘘」を吐き続けるものです。(言うまでもなく、松本御大もりんたろう監督も、「嘘」の達人でした。少年の日の青春の幻影に『メーテル』と名づけたのは、おそらくアニメ映画史上もっとも美しい嘘でしょう)

 「さよなら銀河鉄道999」にあって、ハーロックが心の中で鉄郎に語りかける言葉を覚えていますか? 私は、うろおぼえなので書いときますね。
「鉄郎。たとえ父と志は違っても、それを乗り越えて若者が未来を作るのだ。親から子へ。子からまた子へ血は流れ、永遠に続いていく。それが本当の永遠の命だと、俺は信じる」

さよなら銀河鉄道999
 永遠の命とは、個体の生の永続ではなく、受け継がれてゆく血であり、信念であり、願いであり、記憶である事。人と人との繋がりが紡いでゆく歴史こそが「永遠の命」なのだと。「さよなら銀河鉄道999」は、その冒頭から、それだけを一途に私たちに語り続けた映画でした。


― 余話 ―
 ↑の画像は「さよなら銀河鉄道999」のエンディングシーン。旅の途中で鉄郎が出会った青年・ミャウダーの墓の前に立つふたり。おそらく、この墓は鉄郎が作ったのでしょう。旅の間の短い出会いながら、鉄郎とミャウダーの間には友情が生まれ、彼は別れ際に「俺より先に、死ぬなよ。男の約束だぞ」と言って鉄郎を999まで送り届けてくれた青年でした。そして彼のオルゴールと言葉が、後に鉄郎の命を救うことになる、という「さよなら~」屈指のイケメンキャラなのですが、声優は富山敬さん。この映画の中で、トチロー(アルカディア号)と二役兼ねていたことになります。
 鉄郎がミャウダーの墓の前に佇むシーンが、前作におけるトチローの墓の前に佇むハーロックの相似形であることが、声の一致によって印象づけられています。そこからのハーロックのこの言葉。命の儚さを悲しむのではなく、力強く生きてゆくための言葉は、鉄郎に向けた言葉であると同時に、ハーロック自身の生き様そのものでしょう。そして銀河鉄道999シリーズにおいて問い続けられた「限りある命」か「永遠の命」か、という問への答えでもありました。(りんたろう監督もハーロック大好きだなぁ)



 詩的な言い方をするなら、トチローの「魂」は、アルカディア号の中枢コンピューターにではな、くハーロック自身に宿った。そして、ハーロックはトチローから受け継いだ「魂」を、次の世代の若者に手渡すために生きている。「魂」を理想や意志、胸のなかに燃える炎や思い出と言い換えても良い。それがハーロックとトチローの関係におけるテーマならば、アルカディア号がしゃべろうとしゃべらなかろうと、本質的な差異はない。

 無人でも航行可能なアルカディア号に、あえて信念を同じくする仲間を受け入れるのも、彼らを導き、父親がそうするような深い愛情をかけるのも、親友の遺言どおりにまゆを地球で守り育てるのも、その起点にあるのは、「トチローの魂は、ただハーロックの心の中にしか存在しない」という事実です。そうであればこそ、ハーロックは時に亡き友を思い、深い悲しみをあらわにする。(小松原作画の憂いの表現は、なんて美しいんだろうかとため息をついてしまいます)
 そうしてまた、あの機械ランプだけが明滅する中枢コンピューター室の暗闇は、ハーロックの内面の比喩であり、「友よ、俺はどうすればいい?」と語りかける言葉は、本質的には自問自答になります。(だからこそ、中枢コンピューター室のハーロックは、いつもひとりなのです。指導者は、父親は、悩み揺らぐ姿をクルーには見せてはならない)
 
 最終話においてハーロックは、かつて親友が愛した、そして今では彼の愛するものとなった地球に、アルカディア号の仲間たちを降ろして、ミーメだけを伴い旅立ちます。守るために戦う者としてのハーロックの役目は終わりました。ハーロックの胸の中に燃えていた火は、台羽たちクルーに託されました。そして、地球を愛したトチローの思い出は、幼い娘の心に芽吹いたことでしょう。ハーロックは、アルカディア号においては彼の家族であった者達が、今度は地球で生きてゆくことを望みました。地球に生きて、未来の担い手になってくれることを願いました。 それが、永遠の命を紡ぐ、たったひとつの方法だと信じて。





思いがけず長い話になりました。おつきあいいただきありがとうございます。
おつきあいついでに、長い旅路をふり返るにふさわしい、「わが友わが命」はいかがですか。
78年版アニメは音楽も、とても贅沢でした。






 原作・アニメ・999・映画・ゲーム・パチンコ・リメイクetc...と40年以上にわたって繰り返し描かれ続けた、この宇宙海賊は、その姿と言葉とふるまいだけで、すばらしく魅力的なキャラクターを持っています。こんなストーリー考察なんて語るだけ野暮に決まってるんですが、まさか今さら78年版アニメにハマっているひともあんまりいないだろうなと思うと、ついつい書き連ねてしまいました。いや、実はもっとしゃべりたいことがある。長くなり過ぎたので、今日はここまでに……。


OUTSIDE LEGEND感想(後半・ネタバレ)


SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK OUTSIDE LEGEND ~The endless odyssey~
のとりとめない感想を一話ごとに。ネタバレしかありませんので未視聴の方はご注意を。

外伝ハーロック舵輪

タイトルが長いので、うちのブログではこのアニメ作品を「外伝」と呼ぶことにしています。

【1話】 はきだめのブルース

~あらすじ~
地球を遠く離れた植民惑星、「はきだめの星」。
すでにハーロックは伝説として語られ、かつての仲間たちも散り散りになっていた。
その星に暮らし、何の目的も持てず荒んだ日々を送る少年、台羽正。ある日自宅に戻った彼を待っていたのは、父の死だった。唖然とする正の前に現れたヌーと名乗る4人の死人は、正を殺そうとする。その時、彼を救ったのは、死んだと噂されていたハーロックだった。突然の出来事に混乱する正。
ハーロックは「真の漢になりたければ、俺の艦に乗れ。」そう言い残し、去って行く…。


~感想メモ~
ハーロックの登場時間は短いものの、渾身のかっこよさ。おちぶれた海賊たちの思い出の中、夕陽に向かって歩くハーロックの後ろ姿など、思わず目頭が熱くなりそうなロマンと哀愁に満ちていました。逆光の海賊と共に飛ぶのは鋭角船首の旧型アルカディア。旧作ファンの心臓を的確に撃ちぬいてくるアニメだなぁ。作画きれいと言っていたけれど、あらためて見返すと丁寧さが半端じゃないです。

バーあるかでぃあにて、初めてちゃんと表情が描かれるハーロックは笑みを浮かべている。冒頭から蛍と彼女の一味が捕縛され、得体の知れない人外の敵が降って湧いて、台羽博士は殺されると言うハードな展開ではあれど、このハーロックの笑顔だけで安心していまいました。この圧倒的な存在感と信頼感は他の誰のハーロックでも難しい、りんたろう監督のものですね……。

あと、ミーくんすごくかわいい。ミーくんをなでるハーロックの手がたまらん。


【2話】 誰がために友は眠る

~あらすじ~
キャプテンハーロック現わる!
その事実を知り、ハーロックを追い詰めようと現地警察や宇宙保安局が動き出す。
しかしハーロックは、己に向けられた無数の銃口を一撃で黙らせ、髑髏の旗を背に高らかに宣言する。
「俺はこの旗の下に生きる、この自由の旗の下に。」
だが時を同じくして、ヌーたちは台場博士から奪った謎の石版で密度行列砲を完成させ、地球を消滅させてしまう。


~感想メモ~
地球連邦首相と思しきオエライさんの指示でハーロック逮捕に乗り出す宇宙保安局長官・イリタ。今回のライバルですね。ルパンでいう銭型ポジション。それにしても、しおらしい若本ボイスの違和感よw このイリタ長官は、首相に頭の上がらない旧アニメの切田とは違い、「宇宙に秩序を」という強い信念のもとに、手段を選ばず強力な行動力を見せる長官。連邦政府などお飾りに過ぎないと思ってそう。

このあたりで登場するミーメさん。
旧アニメ版から声優さんは変わったのですが、これがまたかわいい///
私にとっては、懐かしのセーラームーンのほたるちゃんの声のひと。艶っぽさと神秘性が合わさったやわらかな声質の方ですね。声もビジュアルも、旧アニメから変わってはいるのですが、見慣れて聞き慣れさえすれば違和感はおどろくほど少ない。声優さんも、旧アニメに寄せた演技をしてくれてるのかなぁ。この2話だけの登場ですが、黒髪紫眼の波野静香も印象的でした。

がれきの星がお気に入りのトチロー……超古代文明の遺跡はトチローが興味を抱くものがたくさんありそうですね。「この汚さがおちつくんだ♪ 昔の俺の部屋を思い出すじゃないか」と上機嫌なトチローの顔が浮かびます。

この遺跡に埋まった船内で、今作の世界観とトチローの死の経緯が語られます。
トチローってば作品ごとに死に方もハーロックとの出会い方も違うからほんと二次創作泣かせよな……。

ハロ「人類が怠惰と享楽に溺れていた頃、宇宙に飛び出したのはごく一部の無法者だけだった。そんな俺たちを、連中ははかない夢を追う者とあざけ笑った。だが、俺の友はそんな地球に最後まで夢と希望を持ち続け、未来のために身を粉にして働いた。友の夢は半ばについえた。いったい誰のために、あいつは逝ってしまったのか……」
Dr.「その後人間どもはようやく宇宙に広がったが。政治の中心にいる者どもはいつも醜い権威主義者ばかりじゃ」
ミーメ「ハーロック、コノゴロ地球ヲ見ルコトガ、多クナッタ」

と、いうここの映像ではトチローの墓はヘビーメルダーっぽいのですよ。旧アニメでは宇宙葬で墓石だけが地球に、だったかな。また、死の経緯も「地球の未来のため」と伺える。今作に娘まゆは登場しない。ハーロックが地球を守る理由は、ひとえに「友との約束」のため。これを見ると、旧アニメはいったん忘れて、「原作の10年後」と理解した方がいいのかもしれません。この後のはなしでマゾーンについてチラっと触れる台詞もあるのですが、アニメのエンディングとはまた違う、「原作で描かれなかった決着」を経てこの外伝の時代があるのかも。


地球の危機を察知して唸りを上げて起動する中枢大コンピューター。
船尾楼甲板の風の中にたたずみ、ハーロックは呟く。「友よ、なにを泣く……」と。
うわぁ、めちゃくちゃ渋いな……!



【3話】 はるかなるヌーの呼び声

~あらすじ~
父の仇を討つため、アルカディア号に乗る決心をする正。
艦のある瓦礫の森に向かうが、ハーロックを探している内に迷い込んだ森の地下で、ヌーの眷族に襲われる。正を救ったのは、またしてもハーロックだった。
「自分自身の意思でこの艦に乗る」と言う正を、黙って迎え入れるハーロック。
夜空に髑髏の旗をはためかせて、ついに再びアルカディア号がその全貌を現す!


~感想~
おい、地球消えたぞ、地球!
という始まりから。あいかわらず趣のあるアルカディア号の船尾楼を堪能しつつ、台羽くんへ。
台羽くんは、アルカディア号に乗る決心をする。……しかし、お父さんの死体のあつかいが雑だったなー。死体と同じ部屋で寝かされる女の子がかわいそうじゃないかw (このあたりで気づいてくるのですが、この可愛いオリキャラ女子、思った以上に活躍しない! 画面に色を添える程度の存在でした。)

アルカディア号に乗ったものの、キャプテンは留守。迷うほど広い艦内には異星の女と飲んだくれのドクターしかいない。得体が知れないにもほどがある。一方、古代文明の遺跡の主に呼ばれて会いに行ったハーロックは……って、どうしても王蟲と交感するナウシカが思い浮かんでしまったシーンでした。ハーロックちょっとそういう超常現象に対応しちゃうとこあるよね。

そこで明かされる、今作の敵、ヌーの正体。
「ヌーとは恐怖そのもの。宇宙の根源からの支配者。」
「封じられたイエダールの門の向こう側から、宇宙を呪い続けている存在。」

ヌーの正体を聞いた上で、まだアルカディア号に乗る意志があるか、ハーロックは台羽に問いかける。
「それは自分の意志か?」
「この船に乗ってどこへ行く?」
「おまえはその言葉を誰に誓う?」
問いかけも、台羽の答えも、すべて背中で受け止めるハーロック。
そして、
「部屋は空いている。好きに使え」
と言葉少なに台羽の乗船を認める。いやー、この何考えてるのかわからないのにこの説得力。
ハーロックの意図が読めずに焦れる台羽に対して、視聴者はにやにやしながら見てしまう。

艦長が舵輪の前に立てば、アルカディア号の中枢コンピューターが動き出す。
この呼吸。「行こうか、友よ」「おうよ。じゃあまたな、遺跡のねーちゃん!」なんていうふたりの会話が聞こえてきそう。

低く都市のビルを舐めて飛び立つ巨大戦艦アルカディア。飛び立つアルカディアには、独特の切なさがありますね……。
ダイバー0で強く感じたのですが、「飛び立って行くアルカディア」には地上から見上げる者の狂おしい憧憬が込められている。乗りたくても乗れなかった自由と希望の艦、手を伸ばしても届かない理想郷。己の信念のままに、自由に行動する男への、恋のような思慕と胸をかき乱す惜別。それは、ホームから見送る銀河鉄道にも通じる、遠ざかってゆく美しい輝かしいものへの悲しみ、なのでしょう。ハーロックというキャラに強烈な魅力があるのと同じく、アルカディア号にも圧倒的な心揺さぶる魅力があります。それは、ハーロックを主人公とする宇宙海賊シリーズよりも、むしろ、アルカディア号を見上げる少年の眼で描かれる銀河鉄道シリーズのほうがよく描かれていました。いま、ハーロックものを映像化するならば、同じ理由でダイバー0がいいんじゃないかなぁ、と思うのです。話がそれまくりましたね。いや、それだけいいシーンだったんです。外伝のアルカディア号は情緒があってかっこいいんですよ。



【4話】 ヤッタラン・30秒の賭け

~あらすじ~
囚われの身となった元アルカディア号乗組員の死刑が決定した。
宇宙保安局は、有紀螢やヤッタランたちを囮にしてハーロック一派の殱滅を狙っているのだ。
その報道が罠だと知りつつも、アルカディア号は螢たちのいる監獄惑星を目指す。
監獄惑星の対戦艦光子砲をギリギリで回避するも、仲間を人質にとられたアルカディア号は反撃できない。
螢たちを狙う狙撃手の銃口が一斉に火を噴こうとしたとき、ハーロックはヤッタランが作り出した一瞬の隙を利用し、アルカディア号で処刑場に突入する!


~感想~
あ、旧アニメ版第一話でハーロックの公開処刑が行われたのと同じようなセットじゃないですかこれーw
などと、古いファン心をくすぐりつつ。本格的に仲間が集合していく展開はワクワクしますね。

ミーメとアルカディア号が監獄衛星の見取り図を解析しちゃう。ハーロック=アルカディア号=ミーメの関係に新しい機能がまたひとつ……。異星人だから超能力でどうの、というよりもミーメはある意味アルカディア号の一部に見えるくらいの描写。読み切りデスシャドーの、船の心でありハーロックの恋人であった「彼女」を思い出しました。船の心の設定はトチロー、ハーロックに命を捧げて生きる女の部分はミーメに託された、あの彼女。アルカディア号とミーメは、どこかで通じる遺伝子がある気がします。帆船につきものの、船首像の乙女めいたイメージも。

で、囚われているヤッタランをはじめとした40人も栄光のアルカディア号クルーである。
とにかくヤッタランかっこいいぞ!さすが俺たちの副長~!
外伝は非常事態ばっかりなので、ヤッタランがよく働くのですw

そして、監獄要塞にラムでつっこむ、アルカディア号の登場……っっ!このド迫力!!!
「30秒かせいだらキャプテンがなんとかしてくれる」に対して「ヤッタラン副長がなんとかしてくれると思っていた」で強硬したと。こいつらまったく!そしてクルーを迎えるキャプテンの微笑み!1話もでしたが、ハーロックの微笑で終わるとすごい安心感です。




【5話】 戦場は墓標の星に

~あらすじ~
5年前事故に遭って遭難した宇宙遺跡調査隊の調査船、ファタ・モルガーナ号がヌーと共に再び姿を現した。
宇宙保安局の大艦隊は、地球を消滅させたヌーとファタ・モルガーナ号の殲滅を試みる。しかし、逆にヌーの恐怖に狂った保安局員たちは同士討ちを始め、艦隊は全滅してしまう。一方のファタ・モルガーナ号は、この戦火の中でも無傷だった。
戦場を目指すアルカディア号と、待ち受けるファタ・モルガーナ号。
あと数時間で2艦は対峙しようとしていた…。


~感想~
アルカディア号がにぎやかになって嬉しい5話。
廊下でくつろぐクルーの姿に懐かしさがこみ上げ……あ、大山昇太がサルマタケ鍋食ってたw 安定の異様なサルマタ率www
だらしないクルーの姿を見て、「なんなんだこいつら」と呆れる台羽くんは原作からお馴染み。けど、まぁこの時は脱獄したてなんだから、ハメ外して好きなもん食ってもいいじゃないか。結局これが平常運転ではあるけれどもw

今作では蛍がとってもお姐さんですね。旧アニメ版から10年?くらいですもんね。
美人なお姐さんにかまわれて照れてしまう台羽くんがほほえましい。というか、78年版はどうしてこういうラブコメ要素ほとんどなくなってしまったんだろうか……。ローラに惑わされる台羽くんを心配するあたりで立った台羽×蛍フラグはどこへ行ってしまったんだろうか。

適当な人間を操ってアルカディア号のデータを調べさせるヌー。
「ただの無法者ではないか」「死んだこの親友の幻影から逃れられぬだけの男」とハーロックを解釈するヌーたち。
ここ、不覚にも萌えてしまった。そんな客観的なデータからさえ、トチローへの思い入れバレるのかハーロックさん……!w

さて、ヌーと相対するのは地球保安局イリタ長官。
ここで、ちらりと映った記念碑からイリタの父が死んだのが3059年とわかるんですね。原作.旧アニメが2977~79年の出来事なので、100年くらい時の輪がズレているらしい。

ヌーを異星人と認識して、攻撃命令を下すイリタ長官。しかし、ヌーの精神攻撃の前に、地球の精鋭軍はあっけなく崩壊する。旗艦の部下たちまで恐怖にとり憑かれて同士討ちに倒れるのを目にして、初めて余裕を失うイリタ。ここらへんから、ただの切れ者の軍人というだけではないイリタ長官のキャラが深みを増してゆく。

外伝オリジナルキャラクターのイリタさんは、生まれ育った環境によって「ハーロックになれなかった男」として描かれているようです。旧アニメの切田長官と馬の首星雲で死んだ山中艦長を足したような印象かな。違う形で出会ったら、ハーロックが戦友と呼んでいたかもしれない、そんな男。



【6話】 追憶の髑髏はやさしく嗤う
~あらすじ~
アルカディア号艦内に、突如ヌーが出現した。
ヌーは宇宙保安局員たち同様、ハーロックたちをも恐怖で服従させようと乗組員達を襲う。試練にさらされる正や螢たち!
一方、艦隊の同士討ちで傷を負ったイリタは、たった独りでアルカディア号に執念の突撃を敢行する…。


~感想メモ~
「居場所など俺にもない。この宇宙のどこにもな」と、ハーロックは語る。
そんなこと言われると、「俺の隣でいいではないか」ってトチローに言ってもらいたくなりますね……。

・艦内にて
蛍「艦長がお呼びです」
ヤッタラン「ワイは忙しいねん」
ハーロック「そうか…困ったな……(´・ω・`)」
このやりとりを渋い外伝ハーロックで見ると愛おしさが倍増でしたwww
トチロー以外でハーロックにこんな顔させるのはヤッタランくらいですよ。さすが俺たちの副長。

・艦隊戦
アルカディア号ってめちゃくちゃ頑丈ですよね……地球の一般的な宇宙船搭載の武器程度ではびくともしない。
ハーロックのメンタルと比例して頑丈になっているのかもしれないと疑っています。

ヌーのレニ博士の精神攻撃って、誰に対しても苦痛と死の恐怖なんですよねー。ハーロックやアルカディア号の情報も、人間を脅して調べさせないとわからないようだったし、人間の記憶や心理が読み取れるほど器用なわけじゃないのか。要するにワンパターンですわよ女史。

そんな安っぽい精神攻撃に揺らぐようなハーロックではない。
「この艦の名はアルカディア」「ここには恐怖に屈する者はひとりもいない」
ふわーい!かっけー!優秀なクルーがそろっているのも確かだろうけど、アルカディア号とハーロックがいるからこそ何ものも恐れないのだよ。信念と希望を信じさせてくれる、そういう男だ。そういう艦だ。
(あ、でも新入り台羽くんのメンタルはまだあやういw)

ハーロックに恐怖を与えることができず、うろたえるヌー。
「誰だ?おまえは誰だ?」「他にもまだ乗組員が……? いや、人間ではない」と、青く光るハーロックの眼。
なるほど……ハーロックの中にトチローがいるんですね。わかります。

旧アニメ版では、マゾーンがアルカディア号=トチローというのを見ぬいていましたが……。
さらに踏み込んで、ハーロックの中にトチローがいる、とこの外伝では語っているようです。
だから、ハーロックは揺るぎないのだ、と。
「去れ!」の一喝で精神世界から根源の恐怖を叩き出すキャプテン。
いやぁ、外伝ハーロックさんほんとメンタルお強い。

一方、死を覚悟するイリタ長官の回想。
あ、旧型アルカディア!マントなしハーロック!若い!細い!
うっかり見惚れそうな流麗な動きでイリタに銃をつきつける若ハーロックさん。これは死を覚悟をするよなぁ……。
そしてひとめぼれしたイリタ長官。アルカディア号の元クルーたちを逮捕して、人質として殺さずにいたのはハーロックをおびき寄せるためだった、という話もちょっと聞こえ方が変わってきますね。あの死に等しい恐怖をつきつけた黒衣の男にこそ再び逢いたかったんでしょう?

回想は終わり。アルカディア号に特攻をかけるイリタ。躊躇なく撃つハーロック。
外伝ハーロックは撃つんだよなぁ。ここで見逃したって救援はなく、小型艇の燃料では帰還も避難も困難で、緩慢に死にゆくしかない。アルカディア号の憐みを受けるような男でもない。そういう状況だったからこそ。そしてイリタの覚悟を認めたからこそ。罪や罰を恐れる無法者ではない、だからこそ。外伝ハーロックは撃つのでしょう。

「追憶の髑髏はやさしく嗤う」は、イリタの追憶だったんですね。髑髏はやさしかったのかい。
イリタを撃ち殺してすれ違うハーロックは微笑みを湛え剣礼を送っていた。


【7話】 約束の地に月は待つ

~あらすじ~
マスさんと魔地機関長がいる鉱山惑星に着陸したアルカディア号と乗組員。
街に出かけた正と螢は、ヌーの恐怖に屈してしもべに変えられた人々に襲われる。その群衆の中にドクターハッサンの姿を見つけた正は、父の仇を討とうと我を忘れて飛び出してしまう。返り討ちに遇いそうになった正を螢が庇う、その刹那、螢の身体を光が貫いた!


~感想~
マスさん!
魔地機関長!
おなつかしや~~!!
あ、イリタさん生きてたw 生命維持装置つきの小型艇だったのか。装備優秀で助かったね。

ねじれた紐の末裔は語る。ヌーとは何者か。地球はどうなったのか。
むつかしい話に……というか、感情移入がしづらい話になってきたのぅ。

「武器を取り返して、ヌーを封印してください」と頼まれて、
「断る。宇宙がどうなろうと知ったこっちゃない」と返しちゃうハーロックw
他人のために、大義のために戦う男ではない。
あくまでも自分の胸の中にあるもののためだけに、ということなんでしょうか。
でも、結果的に外伝ハーロックは宇宙を救うんですよね。
昔も今も、「たまたま俺の眼の前にたちふさがったから倒す」なとこは変わらない。

突然進路を変えるアルカディア号。
「懐かしい仲間に、会いたくなったんだろう」
アルカディア号に向けてやさしく思いやり深く語りかけるキャプテン……なんでしょうか、色気がある。

鉱山の星に降りたって。
ハーロックについて「昔からああだったのか?」と蛍に尋ねる台羽。
ハーロックを理解できない(理解したがっている)台羽くんを微笑ましく見守る蛍。
そんな姉弟のようなふたりのデートもつかの間、台羽の軽率なふるまいのせいで蛍はヌーに撃たれてしまう。
外伝は台羽くんの成長を主軸に持って来ているなぁ。未熟さゆえのふるまいも多く、けれどそのぶん彼は成長する。

【8話】 死滅の星の魔城

~あらすじ~
ドクターハッサンに捕えられた正と魔地機関長。
ハッサンは地下から化け物を呼び寄せ、ハーロックを誘き寄せるまでの余興としてどちらかが死ぬまで殺し合えと強要する。言う事をきかなければ化け物の餌食にすると。仕方なく刃を交える二人!
しかし、その化け物は自分のせいで行方不明になっていたタケマツの成れの果てだった。愕然とする魔地。
一方その頃、螢は悪夢の中をさまよい続けていた…。


~感想~
キャプテン!馬!?馬乗れんのか……!
(旧アニメでも乗ってたけど忘れてたので衝撃でしたw)

アルカディア号に語りかけるキャプテン。
「友よ、蛍が視線をさまよっている。俺にできることはないか……」「祈るしかない、か」
口元が映り、声に出しているのは「祈るしかない、か」だけ。前半は心の中で語りかけているのかも。

ヌーいわく、「我らがハーロックに不覚をとったのは、あの艦のせいだ」と。
舞台をアルカディア号の外に移せば、人間ひとりたやすく籠絡できる……とでも?
というわけで、台羽と魔地を人質にとられ、「ひとりで来い」と呼び出されるキャプテン。
乗馬キャプテンかっこよすぎて事態の深刻さを忘れそうになる……けど、急いであげてくださいw

CMにちらっと映る999のバーのマスターに笑ったw
細かいなぁw


一方。開拓船の母子に助けられたイリタ。
イリタと少年の関係から見えるのは、やはり「導く者」としてのハーロックとの相似でしょうか。

7話8話と魔地のキャラを丁寧に描いてくれるのは旧作ファンからすると嬉しいのだけど、話があんまし進んでない。



【9話】 友よ。魂の深き闇の果てに

~あらすじ~
正と魔地機関長を救出に来たハーロックは、精神世界でヌーの精神体と対峙する。真の姿を現し、恐怖によってハーロックの身体を乗っ取ろうとするヌー!
魔地機関長とマスさんが戻り、より活気に溢れるアルカディア号のクルーたち。ヤッタランも石盤の謎の核心に迫りつつあった。
だがその頃、人知れず目覚めた螢の手にはナイフが握られていた…。いったい螢の身に何が!


~感想メモ~
ハーロックの姿を見た台羽と魔地が同時に「「キャプテン!」」と叫んで「「え?」」と顔を見合わせる。テンポの良さ楽しい。

ヌーに向かって「おまえたちのことなど、どうでもいい」「あの星が人類の故郷かどうかは関係ない。だが、俺にとって憎しみと希望の入り混じった場所……友と誓った約束のばしょだ。俺は、俺の宇宙に地球を取り戻す」「立ちはだかった者は倒す。それだけだ」
言い切るキャプテンのかっこよさよ!
マゾーンのときも途中までだいたいそんなノリだったよね!
敵から見たらはた迷惑この上ないとこはまさしく海賊だなーw

我々のキャプテンが名状しがたき冒涜的な化物に触手プレイされちゃう……!
キャプテンに、手が!手が……!キャプテンの体が奪われちゃう!蹂躙されちゃう!
エロ同人誌みたいに!エロ同人誌みたいに!
と、ニヤつくくらいには余裕があった対決でした。


ヌーの見せる精神世界。
「この乾いた空虚な空間は、おまえの心の闇だ。心に闇を持つ限り、我らが支配できぬ肉体はない」
だが、ハーロックは動じることなく銃をつきつける。
「まだわからないのか。どんな状況でも決して臆することのない男たちがいる。彼らがいる限り、俺も熱い魂を忘れはしない。それに、俺の心の中には、いつも友がいる……!」その言葉に応えるように、ひとりでに起動し唸りを上げるアルカディア号。

ここ、桜吹雪の幻影が見えるのがなぜか、一見ではよくわからなかった。
そこで、公式サイトのコラムは言う。
「ハーロックの荒涼とした心象風景の方が、より衝撃的であった。砂漠は感情の乾き、散る花びらは悲しみ・寂しさ・失望のメタファーである」と。ハーロックに寄り添い名残を惜しむように舞い散る桜は、美しくも悲しい。

この解釈が合っているのかどうかはともかく、ハーロックの心象風景のイメージとして舞い散る桜を描きこんだアニメスタッフ気持ちを推しはかりたい。ハーロックの経歴と桜は似つかわしくない。けれど、それでもあえて描きこんだ桜吹雪には相当の思い入れが込められているにちがいない。底知れない悲しみを抱えた男として、死に近しい者として、遠く儚く消え去った友との春を忘れぬ者として、ハーロックを描いている、のかも。

(追記:これ、旧アニメ版からの描写でしたわ! 旧アニメでは、ハーロックがトチローやまゆを思い浮かべるとき、その背景によく桜吹雪が描かれていたのでした。印象的なシーンだと「銀河子守唄」で、歌うアルカディア号に重なって浮かぶトチローのシルエットと一面の桜吹雪。さらに、地球のトチローの墓を覆うようにそびえる樹も、花も葉もなかったけど枝ぶりからするとたぶん桜。ハーロックの心象風景は荒涼とした砂漠(あるいはトチローの死んだヘビーメルダーか?)だけど、亡き友を思うときその心の闇に桜が舞い散るのです。なにを言っているのかわからんと思うが、私もスタッフがなにを思ってこんな25年越しのコズミック☆ラブロマンスを仕込んでいるのかわからない。わからないけど泣きそう。)

戦士の銃を魔地に渡して、「救ってやれ」というハーロック……。
外伝は繰り返し「殺す」ことで「救う」ものがあるとを伝えている。死の安寧を与えたり、魂の尊厳を守ったり。一話のラクダしかり、未遂ではあるがイリタしかり、この話のタケマツしかり。そして、言うまでもなく台羽博士も。化物に成り果てた部下を震える手で撃ち殺す魔地の姿を目に焼きつけた台羽は、後に父を殺したのが誰か知ったとき、その理由を悟ることができることでしょう。

いろいろあったけどマスさんと魔地機関長が合流。
やっぱり決戦の前には美味い飯がいる! 食べ物が男に力を与えるのだ、とトチローは信じていたからね~。

むずかしい宇宙物理学講和は水のように聞き流すことにして。
しかしヤッタランどこで学んだんだその知識は……能ある鷹にしても爪を隠し過ぎだw

「魂のおもむくままに行動すればいい。その魂に、誇りが持てるならな」
なにもかも自分で引き受ける覚悟。それが、誇りだと。
こんな言葉をハーロックから渡されると、また旧アニメを見たくなってくる……。



さて、クルーがそろったところで、気になっていたことひとつ。
こと外伝について言えば、アルカディア号の中にトチローの魂はいないんじゃないですか。
なに馬鹿なと言われるかもしれないが、りんたろう監督はわざとそう描いてるんじゃないのかなー。

たとえば、魔地の合流によって船速を上げたアルカディア号について、ミーメは「機関長はアルカディア号の次元流体動力エンジンを知り尽くしてるから」と説明する。けど、トチローが知り尽くしてないわけがないのだ。アルカディア号を作った本人なのだから。トチローの魂が操船するときが最速にならなきゃおかしい。

また、外伝で目立つヤッタランの博識っぷりもだけど、そんな彼でも「ねじれた紐」の石版は手におえない。これを完全に解読できるのは台羽博士かさもなくばトチローだけだと言う。もしトチローの魂がアルカディア号にあるのなら、石版のデータごとアルカディア号につっこんで解析してもらえばいいんだよ。原作でマゾーンの遺物を解析したように。でも、ハーロックはそうしない。

またちょっとわかりにくいけど、ミーメが監獄惑星をスキャンしたのも、同じ示唆かもしれない。
アルカディア号にスキャンかハッキングか、そういうことができるシステムがあるのなら、トチローがやってもいいんだから。


外伝のアルカディア号は、ハーロックの能力を超えることはしない。
亡き友は「心の中にいる」と言い切る。中枢コンピューターにいるとも、艦に宿っているとも、外伝のハーロックは言わない。

中枢コンピューターには死者の魂が宿っているわけではなく、アルカディアという戦艦はハーロックの意識(の中のトチロー)と繋がっている・・・と思えばいいのかな。その方が自然に見える。13話にもつながる話なのでまた続きはそっちで。


【10話】 蛍・幻想

~あらすじ~
ヌーの精神体にとり憑かれた螢は、アルカディア号の艦内を破壊しつつ、中枢大コンピューター室に向かう。螢の精神は時空の狭間を彷徨い、生前のヒルツ博士たちに出会っていたのだ。そこで語られる5年前の恐ろしい出来事…。
一方、螢がヌーにとり憑かれたのは、自分のせいだと己を責める正。螢を救うため、決意した正はヌーに向かって叫ぶ。
「その身体から出ていけ!とり憑くなら、俺の身体にとり憑いてみろ!」


~感想~
ヌーは監視カメラを残しつつ蛍の体を人質にとる、という方法は考えなかったのかな?
というか、ケイの体こんなに動いて大丈夫だろうか……撃たれたばっかりなのに。

憑依蛍、武器庫から弾薬と銃を奪って登場。
アクションが派手になる!

機関室への扉を開けることによって罠を警戒させ、中枢大コンピューターへおびきよせる。
ハーロックが尋常ならざる敵だと認識している&アルカディア号内で依り代となる体を失うのが敵にとって致命的となることを逆手にとった作戦。それにしても外伝ハーロック移動速度がゆったりしすぎてハラハラする。はよ行ってやれw

「まさかキャプテンは、姉御を…」
憑依された蛍をキャプテンは殺すのかどうか。それしか選択肢がないのなら、「殺す」ことでしか「救う」ことができないのなら、ハーロックはアルカディアの艦長として、自分の手を血に濡らすんだろう。化物に成り果てたタケマツに魔地が止めを刺したように。
「キャプテン!」台羽は漆黒の背に向かって叫ぶ。
ふり返ったハーロックの眼!この無言の眼ほど恐ろしいものはない。だが、台羽にはすでに覚悟があった。これは自分の軽率な行動が引き起こした事態なのだ。だから、自分が責任をとらなくてはいけない。蛍を救うことを……あるいはもしそれしかないのなら殺すことを、ハーロックにゆだねてはいけない、と。ハーロックもまた台羽の覚悟をその顔に読み取って、肯いた。ほんとうの男ならば、行け、と。どれほどの哀しみであろうとつらさであろうと、男ならば自分の胸に引き受けろ、と。

「さぁ、俺の体にとりつけ!」
と自分の体を餌に蛍の体を取り戻そうとする台羽くん。
ヌーがとりつくにせよ、もうちょっと色っぽいやり方なかったのか……? 蛍に抱きしめてもらうとかさーw

「俺は、おまえなんかに……出て行け!」
おー、台羽くん精神力で勝った。中枢コンピューターが輝いて桜吹雪が散る幻影が見えた、ってことはアルカディア号(あるいはハーロック)の援護もあったのかな。なんなのかな。ともかく、自分の意志で、蛍のために、仲間の思いを背負って、恐怖に立ち向かった台羽正は男を見せました。


【11話】 震える宇宙

~あらすじ~
ヌーの最後の一人・ヒルツ教授が一騎討ちを申し出てきた。疑いつつも、決戦の場であるネオ・テラに向かうハーロックたち。
ヤッタランによって改造を施されたパルサーカノン砲が火を噴く!その船腹を吹き飛ばし、ファタ・モルガーナ号を追い詰めた時、ネオ・テラの超古代遺跡から巨大な火焔模様の物体が浮上する。
物体の発した禍々しい光に包まれ、操縦不能に陥ってしまうアルカディア号。
「キャプテン!中枢大コンピューターが、完全に停止しました!」


~感想~
玉座に大きく脚を広げて座るハーロック好きです。
行儀悪いというよりも、足の長さ余らしてる感じがしてとてもいい。

敵から仕掛ける一騎打ち……って時間をロスさせるための罠、では? などと勘ぐってしまうなぁ。

意識のない蛍が彼岸で見た「少女・まゆ」は地球の記憶、だそうです……。
やっぱり、この世界には「まゆ」は存在しないんでしょうね。
旧アニメにおいて、「まゆ」とはハーロックが地球を守る理由であり、地球の未来の象徴でもありました。その娘が、時の輪を超えて地球のメッセージを伝える……。ほら、やっぱり78年アニメ見てないとわかんない話じゃないか!w

ああああ操舵キャプテンかっこいいですぅうううう(感涙)
アルカディアの方向転換とのタイミングもばっちりで臨場感がたまりません!
戦艦の移動をかっこよく見せるのってむつかしいよね、アルカディア号が巨大戦艦なだけあって。

わ、中枢大コンピュータが停止するってはじめてじゃない? あ、さよなら銀河鉄道でもあったか。あっちは自分でシャットダウンしてたけど。ここでハーロックが憤りを表情に現すのは、ハーロックとアルカディアの繋がりの深さゆえでしょうか。両手両足を縛られたような気分だろう……。手動操船に切り替えて、各自できることを考えてやれ、ってシンプル過ぎる指示でこの巨大艦隊がたった40人で動くんだからアルカディア号クルー優秀過ぎるよ。

イリタさん……無茶、しやがって。
若本さんはほんとこういうキャラで良い演技をなさる……。ギターのメロディがまた哀しげでシーンに合う。音楽は可もなく不可もなくかなぁ、と思っていたけれど、2度くらい見ると耳に馴染んできて良いですね。
ところでイリタさんここでアルカディア号の救援を優先する選択肢はなかったのかい。左翼がひっかかってるとこ撃ち崩すとか。

「無鉄砲なところは相変わらずだな」
「……覚えていて、くれたか」
ここでサンバイザーを外すイリタは……嬉しかったんだろう。
世界にたったひとりでも自分を理解してくれる相手がいるのならば、男として死に甲斐があるというもの。

「俺の命の後を追って来い」
追尾システムをふぁたもるがーなに埋め込むために、戦闘機ごとつっこんでゆく。
男、だな。若本だしな。そしてキャプテンハーロックは眼をそらさずに、その死を見届ける。
ハーロックもまたそういう男だ。だから、彼の心の中にはいつも桜が散り積もる

「左翼を爆破しろ」
アルカディア=トチロー=ハーロックにとって、己の腕を切り捨てるにも等しい、友を傷つけるにも等しい、決断だったろう。
だが、戦友の命を無駄にするわけにはいかない。

わぁぁぁああああい!!!!
三連パルサーカノンからのラム戦かっけぇええ!!!
ゆっくりと鎌首をもたげ、だが避けようもなく鋭く喰らいつく姿はまさしく深海の王者の迫力!アルカディアかっこいいよ!!!
「“禍々しきもの”は、論理回路を狂わせる。つまりはコンピューター文明がその存在の前提としてあるのだ。まさか巨大な刃物を振りかざした艦が、自ら突っ込んで来る(しかも手動だ!)という攻撃法は想定外だろう。」というノってるコラムを片手に、このカタルシス堪能して欲しい!




【12話】 さいはてに魂は流れる。別れに言葉もなく
~あらすじ~
アルカディア号が、中枢大コンピューターの停止という危機に見舞われる。巨大円筒兵器によって両翼をクレバスに挟まれ、絶体絶命の淵に立つアルカディア号。
一方イリタは自らの信念を貫くため、たった独りでファタ・モルガーナ号に向かって行く。その隙にアルカディア号は自ら翼を爆破してクレバスから脱出、巨大円筒兵器を破壊する。
「行こうか。…友よ」
すべての乗組員を降ろし、ファタ・モルガーナ号を追うハーロックとアルカディア号を、密度行列砲の光が襲う…。



~感想~
ヌーの兵器を破壊してもなお起動しない中枢大コンピューター。
打つ手もなく困り果てる乗員たち。と、ハーロックが口を開く。

「船とふたりにしてくれ」
エロい……

「おまえたちも降りてくれ」
すごくエロい……

蛍「キャプテン、私……いえ、なんでもありません……」
美女の縋る眼差しをしりぞけて、アルカディア号と「ふたりっきり」になるハーロック。
いったい何が起こるのかとドキドキしました……////


「ゆこうか、友よ」
ここの字はきっと「逝」ですね。針路はあの世だしな!
ハーロックが舵輪にふれた途端になめらかに起動する中枢大コンピューター。
「寝たふり」しちゃうアルカディア号だったと。
クルーを置いて飛び立つ艦。それは死へ向かう旅路か。別れの言葉もなく。

艦内にハープの音色が流れる。
「ありがとう、ミーメ」
原作漫画のハーロックはよくミーメにこう言っていましたね。
ミーメの献身に対して、その命ごと引き受けて感謝するのがハーロック。
このふたりの関係もふしぎなものです。ありふれた恋愛でも主従でもない。
ミーメの種族はミーメを最後をひとりとして絶滅してしまうから、かな。ハーロックが彼女の命を引き受けるのは。
助けてしまった責任として、途絶えてしまう血筋の最後の一滴を受けとめるために、彼女のどんな生き様もハーロックは尊重し肯定する。

「この宇宙の中なら、たとえどこだろうと、俺は彼らと一緒に行っただろう。だが、これから行くところは宇宙の果てた。そこまで彼らにつきあわせるわけにはいかない」
ハーロックは艦と共にどこへでも行けるし、ミーメもハーロックの傍らならばそれが地獄の果てでも一緒に行く。だが、他のクルーを地獄へ連れて行きはしない、と。アルカディア号のクル―はハーロックの家族であると同時に、彼にとっては息子であり娘である、と思う。蛍や台羽くんなんかまさしくね。だからあの世までは連れてゆかない。あぁ、テレビアニメ版のエンディングを思い出すじゃないか……! やっぱり旧アニメのエンディングは、死出の旅だったんだろうな……。

さて。残ってる台羽くんだけど、なぜ残る決断をした?彼はハーロックの言葉を疑う要素も、他のクルーの行動に逆らって自分だけ残る理由もないはず。自分の意志で?それとも誰か引き止めた?台羽博士の死の真実を見せるために……?




【13話】 …涯

~感想~
台羽親子の語らいから。
「おまえの心残りと、おまえの行く末を案じる私の心が引き合ったのだよ。私は死の瞬間の私だよ」

ヌーの精神体があざわらう亜空間。言葉にするならば、地獄。どこか、ラフレシアとの最後の戦の場所のようでもある。
髑髏の旗と卵のような庵。うむ、この汚い部屋はトチローにちがいないw 亜空間の地獄から、地球の記憶がオカリナを吹く世界へ抜ける。

「やぁ」
「トチロー」
ちょっと何日かぶり、というくらい短い言葉を交わすだけの出会い。
でも、でも、ハーロックの声からにじむ喜色を聞き逃すわけがない!

トチロー!
すごいなトチロー!
ありあわせの機械で地球にむらがるヌーの精神体をしりぞけたぞ!?

会話を聞いてると、地球が現れてからこっちは500時間も経ってないのかもしれない、と。時間の流れがあるような、ないような世界だしなー。地球が光速に近い速度で飛んでいるのなら、ウラシマ効果が発生しているかも。


「よく来たな……とは、言いたくないぞハーロック!」
たしなめるトチローに、嬉しそうなハーロックの微笑……。

「無茶がすぎるぞ、ハーロック。俺に逢えなかったらどーするつもりだったんだ」
「ここが魂のおもむく世界なら、そんなことはありえんだろ?」

そんなふうに互いを想う絆の強固さを見せつけて視聴者を悶絶させないでください!
なんだかね、トチローがハーロックを心配してる状況が新鮮で、涙が浮かんでくる……。

どちらかと言えば、無茶したり周りが見えなくなって痛い目見たりたりするのはトチローの方だったと思うんです。それを引き留めたり助けに行ったりするのが、ハーロックだったと思うんです。ガンフロンティアとか見てると、たぶん。でも、それは二人そろってる時の役割分担で、ひとりで生きるハーロックは無茶も無謀もするようになる。それが最善の策であると判断すれば、地獄まで会いに来ることだってしてしまう。生きてるからこそ命知らずになれる。

「大山式密度行列砲だ♪」
このトチローさんの天才っぷりよ……それでこそザ・トチロー。
くっそ、帽子の上からのぞきこむハーロックかわいすぎんだろ!
トチローがいるだけで、表情のバリエーション増量しすぎだよキャプテン!かわいいな!
このふたりが、りんたろうアニメで並んでいるだけで心臓に悪いくらい嬉しいので2時間くらいこの世界映しといてほしいのですが……!!


ここの短い会話でも、アルカディア号とトチローの魂が別物として描かれているんじゃないかと疑ってしまう。
ハーロックが単身亜空間へ飛び込むために積極的に協力したアルカディア号と、「無茶しやがって」と諌めるトチローはやはり別人格なんじゃないでしょーか。そして、アルカディア号では作れなかった密度行列砲を、あっさりと完成させるトチロー。やっぱりさー、あの艦に宿るのがなんにせよ、トチローそのものではないよね。劇場版999以来、私たちが受け入れてきたしゃべって動ける「艦の魂」とは、ちがうものだ。

トチ「本当は酒でも飲みながら、ひと晩語り明かしたいところだが、そんな時間はないようだな」
ハロ「いずれそんな時も来るだろう」
トチ「いや、そんな時は来ないほうがいい。そう願っているよ」

ここのやりとりも、どうもトチローの言葉とは思えない。
ハーロックは死んだら会おうって言ってるのに、トチローは「気長に待ってるさ」とか「のんびり来いよ」とかじゃないんだよ。ハーロックに長く生きてほしいに留まらず、「永遠に死ぬな」と言っているように聞こえる。ハーロックが生き続けることを、願っていると。
このトチローの台詞って、トチローの口を借りた御大の願いじゃないかな。旧アニメ版のエンディングは、ハーロックを死なせる予定だったとりんたろう監督は言っていた。ついでにリブート映画のエンディングも、本当はハーロックが死ぬはずだった、と聞いたことがある。それを松本御大が絶対だめだと許可しなかったから、旧アニメはクルーを全員置いてハーロックだけが地球を旅立つエンディングになり、リブート映画はヤマとハーロックがふたりとも生き残ってしまったんだ、と。リブート映画の監督は「鶴の一声だからしかたがない」と苦々しく語っていたね。物語の整合性がどうであれ、ハーロックを死なせたくなかった御大は、古い親友であり、自分の筆が生み出した息子でもある宇宙海賊を、ほんとうに愛していらっしゃるんだとしみじみ感じたものでした。古いハーロックファンのひとりとして見れば、あの映画はつらいシーンもあったけれど、御大にとってはどんなハーロックあれ生きて動いているだけで、嬉しいのかもしれない。



本編に戻ると、
宇宙理論の小難しいはなしはそれはそれとして、ド迫力の艦隊戦闘シーン!大好きだ!!
ラム突で粉々に砕け散るふぁたもるがーな!あの恐ろしい幽霊船のような艦を一撃の元に、粉砕!轟沈!!
かっこいいよかっこいいよアルカディアぁああああ!!!

が、ここですんなりハッピーエンドにするようなりんたろう監督ではなかった。

艦橋にはハーロックと台羽正。
父の死の真相を、宇宙の色の背にに問いかける台羽。
「どうして……いや、わかってるんだ」
そうだね。13話かけて、台羽くんにはわかるようになったはずだ。

松本ワールドにおいて、戦士の銃を渡すことがどういう意味を重さを持っているか、私たちは知っている。
78年版アニメは、ハーロックから台羽正に戦士の銃を渡せなかったことだけを悔やんでいたのかもしれない。

空気をはらんで翻る黒いマント、隻眼になびく髪、鮮やかに射抜く眼差し、つきつけられた重力サーベル、艦橋スクリーンに大きく映るネオ・テラ……この非の打ちどころのない対峙は、もう言葉にならない……。
ありがとう、アニメスタッフありがとう……。



エンディング。都市へ向かって歩いていく台羽。地表近くを飛ぶアルカディア号。
その甲板には40人のクルーの姿が、ハーロックの姿が、トチローとまゆの姿が。
なんで生き返ってるのかとか、結局撃たなかったのかとか、そんなことを言い立てるのは野暮というもの。
台羽正がハーロックとアルカディア号のクル―から受け継いだ血筋を、自由の信念を、胸の中に灯る炎を、映像に現すのならばそうなったんだろう、と思って見た。彼の心の中の宇宙には、今もアルカディア号がドクロの旗をひるがえして飛んでいる。そしてまた、この作品を見た私たちの心の中にもアルカディア号は飛んでいる。





追記:旧アニメのエンディングについて、りんたろう監督は「白鯨をイメージしていた」と言っていた。これは、アニメにならなかった当初のエンディングについて、だ。白鯨の結末は、白鯨によって船は壊れて沈み、艦長・エイハブもクルーもみんな沈んで、ただひとり新入りにして語り部のイシュメールだけが生き残り陸へ帰る。たしかめようもないので推測になるが、当初のエンディングは「マゾーンを打ち払うが、アルカディア号もろともハーロックは死んで台羽正だけが地球へ帰還する」というものだったのではないだろうか。外伝の、艦を降りてひとりでネオ・テラへ歩いていく台羽の姿にも重なる。

追追記:外伝ハーロックの歩き方について。いわゆる「ハーロック歩き」ですね、アオイホノオで有名になってしまったやつだw ハーロックが上体を揺らして歩くのは劇場版999から。78年アニメでは揺れません。これについて、ソース未確認ながら「足に傷をもっているためにそういう歩き方になる」という話があります。白鯨のエイハブ船長もまた、白鯨に足を食われたために義足を嵌めている男でした。失った足と鯨骨の義足こそがエイハブを海へ駆り立てる元凶と言っていい重要事項。りんたろう監督は、ハーロックをエイハブ船長に重ねていた?外伝そのものを白鯨に重ねていた? 仮にそうだったとしても、足の傷設定が劇場版999からの構想なのか、この外伝からの設定なのかは不明。また、白鯨という物語自体が神話のような哲学書のようなシェイクスピアの戯曲のような、私の人生経験ではとても太刀打ちできない世界で、どういう意図の演出なのか推し量るのも難しい。(白鯨は単なる捕鯨うんちくエンタメと読んでも十分おもしろかったです)
わかんないだらけだ。今後の宿題です。万が一、りんたろう監督に質問するチャンスがあったら、噂の真偽をたしかめたいものです。
プロフィール

あさくら

Author:あさくら
なぜかいきなりハーロックにハマったブログ。あと25年早く生まれておきたかった。※二次創作文はおおむね女性向け。

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